ネット社会での議論というのは、どうしても特定の言葉を抑えれば理解できるという具合に「キーワード化」されていく傾向があります。
ただでさえ何かを「分かる」ということはいくつもの自動ドアをただ機械的に開け続けるようなことではありませんが、自分たちが置かれている現実を巧妙に複雑化し続ける今の日本社会において、少なくとも「簡単に分かる」というイージーな手段に飛びつく習慣はまず最初に捨てるべきものであるように思います。
あなたもまた、惰性的な知性の使い方にいかに見直しをかけていけるかということが問われていくでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
現実に遊ばされる
今週のやぎ座は、不意に頭がからっぽになっていくような星回り。
ひとりで「何もないとこ」をなんとなく歩いていてつまづく、ということは確かにたまに起こる。あれはどういう理由からかはよく分からないが、感覚的には突然歩き方や足の動かし方がわからなくなってしまった、というのに近い。
そうすると、足そのものや筋肉の問題というより、頭の中の回路や記憶の揺らぎやそれに伴う誤作動のようなものなのかも知れないが、いずれにせよ、それは他の動物に比べて脳の発達に進化の方向性を全振りした「頭でっかち」な人間に特有の現象なのではないか。
「何もないとこでつまづく猫じゃらし」(中原幸子)では、その横で道端の「猫じゃらし」が風にゆられているという訳ですが、それはどこか人間の滑稽さをくくくくくと声に出して笑っているようでもあります。しかし、笑われることで初めて、人間はしがらみや執着から脱け出せるのであって、逆にそういう機会を失った人間ほど憐れでかなしい存在はないのだとも言える。あなたもまた、自身の存在の根底にある悲しさや滑稽さを笑ってもらうだけの余白をもうけていくべし。
今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
生きたリズムを呼び込む
今週のみずがめ座は、「ささやかな遊び」と「ひそやかな愉しみ」をきめ細やかに織り込んでいこうとするような星回り。
山林伐採の労働者たちは、老練になればなるほど入って日が浅いアルバイトの性急さをあざ笑うかのように、ほとんど禁欲的なほど小さな歩調でゆっくりと山道を登り、十分すぎるほどの「食休み」を取りながら、最後まで汗をかかないで仕事を終え、長老格になるとそこに周囲を退屈させない話術さえ加えながら、山を下るのだといいます。
彼らは「山林」という苛酷な環境において、ちょっとしたストレスや焦り、神経の摩耗がどれだけ自分たちの身を危険に晒し、命取りになるかをよく知っており、からだやこころの緊張を和らげるための習慣づけを日頃からよく心がけているのでしょう。