2019年11月、漫画家・清野とおるさんと結婚した壇蜜さん。時代の潮流に真っ向から抗うわけでも迎合するわけでもなく、独自の存在感を持ち男女ともにファンの多い壇蜜さんに、何かとしがらみの多い時代を生きるヒントや、結婚1周年を迎えた今の心境などをお聞きしました。
※VERY2021年1月号掲載「壇蜜さんが結婚しても『縛られない』理由」より。
◉壇蜜(だんみつ)さん
本名・清野支靜加。1980年秋田県生まれ。東京都出身。昭和女子大学卒業後、調理師免許を取得。また冠婚葬祭の専門学校にも通う。和菓子工場、銀座のクラブホステスなど様々な職業を経験した後、2010年に29歳のグラビアアイドルとしてデビュー。’13年『甘い鞭』に出演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。『壇蜜日記』『壇蜜ダイアリー』シリーズなど著書多数。2019年11月22日に漫画家・清野とおるさんと結婚。ネコ、ヘビ、トカゲ、鳥、熱帯魚など、たくさんの生き物と共に暮らす。
「結婚してみる」ことにして
わかったこと
──早くも結婚1周年。以前、週の半分くらいを一緒に過ごす半別居婚をしていると聞きましたが今も生活は変わりませんか?
夫婦と子どもがいてみんなで一緒に暮らすっていう、長年培われてきた家族の形のイメージというのは、なかなか自由に変形できるものじゃないですよね。家族は同じ屋根の下、一緒にいるのがいちばんという価値観は、私たちが生きている間はそう簡単に変わらないだろうと覚悟の上で、ままごとみたいな結婚だと奇異の目で見られても仕方がないね、と諦めにも近いものを感じています。
──でもお二人にとっては、今の関係が居心地のいい感じ、ちょうどいい距離感なんですよね。
清野さんも私も一人でいる時間が必要で、そのほうが仕事が捗はかどるというのがベースにあってここまで生きているので、世間に反抗するよりも、うまい言い訳を探すほうが楽なんじゃないかなと、思うようになりました。「本当に未熟者ですよね」と、相手が思っているであろうことを先にこちらから言ってしまいます。正直、これを言っていいのかわからないけれど、他人には解決できない自分の闇の深さみたいなものは、ちゃんと伝えられたほうがいいなと。一人でいる時間がないと爆発しそうになるとか、そんなことで、大好きな人を嫌いになったりするのは絶対に嫌だから、この生活を選んだということ。「じゃあ、なんで結婚したんだ」って言われるかもしれないですけれど、でも、「結婚して共に暮らすか、結婚しないか」だけでは簡単に片付けられない感情があったんですよね。「そんなことじゃ、すぐ別れられちゃうわよ」と言われても「そうかもしれないです」と返しておけば、自覚はあるんですということも伝わるし、相手の言葉を何にも否定してないですよね。「そんなことないですよ」と言い返すよりも、「そうかもしれません。不安、どうしよう」って言ってしまうほうが私は楽なんです。
従っているかのように
見せかけて、生きる
──達観しているというか、「私の本当の気持ちを知ってもらいたい」みたいな欲求をそこで抑えられるのはなぜなんでしょう。
達観なんてしていないんですよ。ただ、あまり相手に対して期待しないでおこうと思うようになりました。感染症で人と人の距離感が変わっていることも影響していると思いますが、最近は「相手にやって欲しい事、考えて欲しい事」がより多くなる傾向があるような気がして。求める物を少なくするほうが、自分自身の心が自由でいられるんじゃないかな。私も夫の清野さんに対しても、わかって欲しいとか、こうして欲しいとは、最初からあんまり思わないようにしようとしています。「何でわかってくれないの。何で悟ってくれないの」となる前に、期待に応えてくれた場合と応えてくれなかった場合の両方、想像すると、とても楽です。多分、あの人は、こうするだろうとか、あの人は、こういうことには多分気づけない、とか。先回りして考えるほうが楽になる気がします。
──あくまでも印象ですが、世の風潮に縛られがちな自分の心を自由にする術すべを壇蜜さんは持っているような気がします。
銭湯やサウナに行くのが好きなのですが、たまたま居合わせたおばあちゃんの話を聞いていると私は、すごく自由な気分になれるんです。他愛ない世間話を聞くことで、がんじがらめに縛られていた気持ちがほぐれて、人には、人の事情があるんだなと当たり前のことを再確認できたりします。何となく心の中に隙間というか余裕ができる感じですね。自分を自由にするとか、自分を解放する近道ってあえて、人の話を聞くことなのかな、なんて思いました。例えば、結婚に迷ったとき、「もうこの人に決めちゃいなさいよ」と後押ししてくれたり、悩みや不安を聞いてくれるようなおせっかいおばさんが増えたらこの世の中は変わるのに、なんて思っています。
──閉塞感のある時代の中でも「従っているように見せかけておけばいい」「頭の中の妄想力は誰にも奪えない」とラジオで話していましたね。
これはどちらも、昔読んだ漫画の中で出てきたフレーズなんですよ。もう絶版になっていると思いますが、搾取される女性たちの物語でした。「一見強い者に従っているように見せかけて悪い子になる」「自分の妄想力とか想像力は、誰にも奪えない」という境地は、ギリギリのところで彼女たちが考えた処世術なのでしょう。厳しい状況で、どう生きていくのかとなったら、頭の中から変えていくしかない。芸能界に入ったばかりの新人の頃は「あなたの代わりはいくらでもいるから」と面と向かって言われることもありました。つらい経験があるからこそシンパシーを感じているのかもしれません。
──不祥事を起こした人を糾弾するようなニュースが飛び交う中、白黒をはっきりつけるわけではないけれど、決してどっちつかずでもない壇蜜さんのコメントが心に響くことが多くなっています。
何事においても、善悪ではっきりさせないとダメな人が増えたと思うんですよね。そういう人を簡単に納得させるのは難しいので、「白黒つけないと気が済まない」という相手のボルテージをいかに下げるかに集中したほうがいい気がします。私は、自分とは全く違う見解であっても、新しい意見だとまずは評価します。でも、その考えを受け入れるためには、「私、ちょっと時間が必要かもしれない」と、伝える。最初に「そっか、そうだよね」といったんは受け止めると相手のボルテージはだいぶ下がりますよね。そこで、「でも、ちょっと待って。揺らぐなあ。困ったなぁ」と。あなたの意見は、聞いた。わかっている。でも、そう言われると、今まで信じていたものが崩れちゃう、そんなふうに言うことが多いですね。
──日記本『壇蜜ダイアリー2』の中で清野さんのことを「亭主」とか「男」と言っていたのですが、この呼び方は何かこだわりがありますか? 若い世代ではめずらしいような。
いや、特にこだわりはないんですよ。結婚前はよく、(三遊亭)小遊三さんが、「壇蜜の亭主でございます」と言っていたので、つい(笑)。夫婦の呼称問題はよく取りざたされますが、呼び方自体は自由でいいと思いますけどね。できれば、こうやって話す時は、私は清野さんって呼びたいです。「うちの清野さんが」って……。気づいたら、母も父のことをいまだに「齋藤さん」って言っているんですよ。