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「思い」が人生を変える。さくらももこに学ぶ、夢の叶え方

ヨシムラヒロム

さくらももこが亡くなったと知り、数日が経過した。僕が知る限り、さくらももこほど自身を作品化した人はいない。代表作の『ちびまる子ちゃん』を筆頭に、ベストセラーとなったエッセイと、彼女の書く事柄の多くが自伝めいたものだ。さくらももこの人生において、作品として発表されていない年代は、ほとんどないのではないか。

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さくらももこの文章は特徴的で、「思った」という言葉がほかの作家よりも多く使われる。僕は以前通っていたライタースクールで、文章で「思った」というワードを多用することは好ましくないと習った。事象に対して書き手の思いは重要ではなく、断定できる答えが必須だと講師は言っていたのだ。作家・さくらももことライターに求められていることがちがうとは重々承知だが、それにしても「思った」は多用される。

話は変わるが、さくらももこは子どものころの夢が叶った稀有な人だ。幼少期のエピソードとして「青島幸男みたいにえらくなりたい。歌を作りたい」と父・ヒロシに言ったところ「青島幸男は国会議員だ。お前にはムリに決まっている」と一蹴されたというものがある。普通はヒロシが言い放ったように「ムリ」だろう。しかし、その十数年後にさくらももこは平成のスーダラ節(作詞は青島幸男)ともいえる『おどるポンポコリン』を作詞。25歳のころである。

さくらももこは早熟かつ多作な作家でもあった。1999年、34歳のころには自身が編集長をつとめた雑誌『富士山』を発行。漫画、エッセイ、インタビュー、なんでもこざれ。B5の雑誌『富士山』は全200ページどこを開いてもさくらももこワールド。隅の隅にも小ネタが書かれている。なお『富士山』の企画で、さくらももこは自宅にビートたけしを招いたり、ジャイアンツファンの父・ヒロシに長嶋茂雄を紹介したりと、これまた夢を叶えている。父の夢までも。

さくらももこのエッセイには、空想にふけったことから展開するエピソードが頻繁に登場する。“空想にふける”とは“現実には起こり得ないようなことを想像すること”だという。しかし、さくらももこの空想の多くは現実となっている。叶った秘訣の内訳は努力、才能、運もあるだろうが、それ以上にさくらももこが人並み外れた「思い」を持っていたことも大きいはずだ。その「思い」は文中では「思った」として表れる。さくらももこの「思った」は常人の「思った」より強いはずだ。それがよくも悪くもエッセイで書かれるからおもしろい。さくらももこは、物欲、食欲、健康欲、好奇心と、すべてが旺盛なのだ。

年齢を重ねるごとに、本来持っていた自分の「思い」が目減りしていく。女性の場合は男性以上にすり減ることも多いだろう。そんなときは、さくらももこの作品を読んでほしい。描かれているのは、物事に対して感情や意識を持つこと。何気ない日常のなかで愛でる箇所を発見する喜び。そして、さくらももこの「思い」強めな自己主張だ。

その「思い」を、人は別名ワガママと呼ぶかもしれない。しかし、「それでもいいじゃん!」と、まる子は今も声高々に叫び続けている。

(文・イラスト:ヨシムラヒロム)

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