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夏木マリさん|40代でようやく見つけた私らしさ、私らしい表現

〝カッコいい〟のひと言ではとうてい言い尽くせないほど、表現者としてはもちろん、ファッションや生き方においても女性が憧れる唯一無二の存在。デビューから50年近く、芸能界の最前線を走り続けてきた夏木マリさんに、どうしたらそんなにカッコよく年を重ねられるのか、その秘訣を伺いました。

夏木さんの綺麗を作る4つの秘密を公開!

自分らしく輝けるものを見つけたほうがいい

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夏木マリさん(69歳)

《Profile》
東京都出身。’73年に歌手デビュー。その後、演劇にも活躍の場を広げ、’90年に単身渡米しニューヨークへ。帰国後の’93年から自ら企画・構成、演出、出演までを手がけた舞台『印象派』をスタート。デビュー50周年の’23年には30周年を迎えるほか、支援活動「One of Loveプロジェクト」と清水寺奉納パフォーマンス「PLAY×PRAY」が15周年を迎える。11月28日(日)20:45~清水寺奉納パフォーマンスを配信。https://www.youtube.com/c/marinatsukiofficialchannel

頭で考えるだけでは物事は進まない。一歩動けば新しい自分を発見できる

主人のノヴさん(パーカッショニストの齋藤ノヴさん)について、ヘアアーティストのTAKUさんのサロンに行ったとき、「マリさん、切っちゃいますよ」と言われて、やっちゃってもらったら刈り上げに。何の計画もなかったのだけれど、悩みだった毛量の多さが、単純に半分になって非常に便利だったんです。「じゃあブロンドにする?」って言われて、それもやってみたら、スタイリッシュからアヴァンギャルドまで、どんなお洋服にも合うのね。今ちょっと気分を変えたくなって、オレンジにしていますが、ただラクで自然なものを求めたら、こういうスタイルになりました。もともと白髪がないので、好きなヘアスタイルにできるのはありがたい。これは親に感謝。母も90歳過ぎてから白くなってきたので遺伝かな。

刈り上げにしているので10日に1回サロンに行きますが、そうでなかったらほとんど行かない(笑)。ヘッドスパも思い出したら行くくらいです。ふだんはサロン仕様のシャンプーを使っていますが、撮影前はあえてコンビニで買えるようなものを使います。そうすると、ラフな雰囲気が出るんです。いいシャンプーはしっとりしすぎるから。日本人は髪をキレイにしすぎだと思うの。みんな艶々に一生懸命手入れされているけど、私は大体こんな感じ。今日のヘアはこんな気分よ。

美は一日にしてならず。清潔に年を重ねたい

みんな、夜のケアをするのは当たり前でしょ。40代以降は朝が勝負です。朝起きるとまずは白湯を一杯飲んで、気持ちを上げるために、ぱあーっと空を見て、生かされていることに感謝してから歯磨きをします。歯磨きも、唾液が少なくなっているから、最初に何もつけずに空の状態で磨き、その後にペーストをつけてダブルで磨きます。このとき、傾斜踏み台に乗って、背骨をまっすぐにして外を見ながらね。歯磨きは優しく長くが大切です。終わったらシートパックを貼って、朝の家事をやってしまいます。終了後は、インフィニティの化粧水、美容液、乳液、アイクリーム、クリーム、日焼け止めとフルにしっかりとスキンケア。

夜はインフィニティのクレンジングバームかコスメデコルテのAQ ミリオリティ リペア クレンジングクリーム nのどちらかでしっかりクレンジング。どちらも良くて、気分で使い分けています。その後は朝と同じです。でも、ドラマに入ると、撮影後はメークさんの化粧水をつける程度。これではダメだとある日気づいて、クランクイン時にいつも使っている化粧品一式をメークさんに預け、ケアをしてきちんと潤ってからスタジオを出るようになりました。続けるのは大変だけれど、ちゃんとやらないと。清潔に年を重ねたいですものね。美は一日にしてならずだから、やらないとね。

エステに通い始めたのが40代と遅かったんですよ。まだ20年ちょっとだけど、ほぼ10日に1回のペースでずっと通っています。サロンのエステティシャンの方も、「急に来て改善を望む方もいるけれど、1回でキレイにはならない」って。毎回、ハーハー言いながら絶対に結果を出してくれる方。特に私は良いときも悪いときも、すぐに顔に出ます。やらないと“うなぎ下がり”。今は歌ってないから、顎の筋肉が弱って、いつもより全体的に下がり気味。それを上げてもらいに行くと素直に効果が出る。「夏木さんは長年続けて来てくれているから結果が出るんです」と言ってくれます。

美容皮膚科にはトラブルが出たら行くくらいですが、処方されるものを使って治すより、なるべく日々自分でケアしたいですね。

確実に結果を出すために美容も食事も理論的に

'22年は、舞台『千と千尋の神隠し』に出演する予定で、12月から稽古が始まり、2月の東京から7月の名古屋まで公演が続きます。約2年間、パンデミックで体がなまっているので、ボディを作り始めました。週3回ジムに通ってパーソナルトレーナーについてウエイトとストレッチを50分間。時間も短いし、大変なことは何もしていないのですが、セルフでは怠けちゃうから、とにかく行く。行けばトレーニングせざるをえないから。でも、私は脚がつりやすいので、入浴時にはマグネシウムが豊富なエプソムソルトの入浴剤や粗塩をばさっとお風呂に入れています。

昔から“ミルク飲み人形”かと思うくらい、横になったらすぐにどこでも寝られる性質で、睡眠は7時間半。いちばん人間にとっていいと言われている時間で、満腹中枢も抑えられるし、体も脳も休まるそうです。年齢を重ねて、やるからには効果を出したい。だから無意識にはせず、教えてもらった通りにやっているんです。

朝ごはんも起床後1時間以内。しかも8時に食べると1日元気で過ごせ、体にいいと聞き、なるべくその時間に食べるようにしています。

食生活では糖質を減らしています。朝は今、豆乳ヨーグルトとバナナ半分だけ。夕飯はパンデミックのお陰で、5時か5時半に食べる習慣がつきました。以前はあえてヘルシーな豆腐そうめんなどに具をいっぱいのっけて食べていたんですが、お腹がはっちゃうのね。私はお肉を食べると痩せるし、しかも植物性より動物性のたんぱく質のほうが効果的に摂取できると感じ、あーだこーだせず、骨付きラム肉を1本とか、いろいろな調理法で味を変えて、お肉を食べるようにしています。良いたんぱく質を取るって難しいですね。鶏肉とブロッコリーばかりだと飽きちゃうし。

遅延型フードアレルギー検査で砂糖と蜂蜜がNGだったので、熱狂的に好きだった蜂蜜をあきらめ、甘味には羅漢果糖を使うようにしています。料理は好きね。レストランに行きづらくなった今のご時世、家で作って楽しく食べています。

結婚10周年に結婚式を。次の20周年には披露宴を

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59歳で結婚し、今春で10周年。結婚記念日が私の誕生日とも近いので、いつもは旅行に行くことが多かったのですが、今は海外に行けないでしょ?そうしたら98歳の義母が、「あなたたち結婚式挙げていないでしょ?やったら」と。そのときはごきげんなお洋服を着たいし、時間ないからと言うと、ノヴさんが「やろう」と言ってくれたのでやりました。場所は方角のいい乃木神社で、着物スタイリストの秋月洋子さんに白い着物をご用意いただき、ブーケは東信さん、ウエディングケーキはétéの庄司夏子さん、お弁当は後藤しおりさん、と最高の環境で神前結婚式を挙げることができました。何でも突発的なんです。やってみて実感したのは、式、披露宴、二次会と一度にやる花嫁さんはとても大変ということ。10年ごとに分けるのもいいなと思って、次の20周年があるとしたら、もはや「生前葬」になるねと言いながらも、披露宴ができるほどお互い元気だったら嬉しいですね。私たち夫婦は結婚が遅かったから、共に過ごす時間が少ないので、なるべく一緒にいたくて、わりと一緒にいます。年を経てからのほうが、夫婦って仲良しなんじゃないかな。

もともと私は結婚に興味がなくて、ひとりでいるほうが気楽だと思っていました。ノヴさんに出会ったのが50代。籍を入れることにこだわりはなかったのですが、義母が高齢で、中途半端なままでいるより、嫁になったほうが母が安心するかなと。あまりにもいい母で、家族になったほうがハッピーだと思ったんです。そういうところは真面目なのよね(笑)。

40代でようやく見つけた私らしさ、私らしい表現

19歳のときに本名で歌手デビューしたものの全然売れず。衣装と譜面とカバンを持って、キャバレーまわりをしていました。それが嫌で嫌でしょうがなく、一度はやめさせてもらったんです。ところが'73年に「夏木マリ」と芸名に変えたら「絹の靴下」が大ヒット。急に忙しくなり、食べない、寝ないでやっていたら、ある日現場で低色素性貧血でばたんと倒れました。血が透明になって、一歩間違えば命がなかったと言われ、800cc輸血をして何とか一命をとりとめました。3カ月で復帰したものの仕事は激減、またキャバレーまわりを再開して、計8年間。私にとってはトンネルの時代。やけくそでしたね。

30代でドラマや舞台をやってもどこか違和感を感じて、40歳間近に渡米。ハリウッド映画『ハンテッド』に出演しました。エンターテインメントの仕事をしていると、一度はハリウッドに行きたいと思うんです。オーディションを受けて合格したのですが、人種差別もあって辛い経験でした。主演のジョン・ローンさんですら「アジア人はどう頑張っても大変なんだ」と言うので、最初は半信半疑でしたが、本当に大変。rとthの発音も完璧を求められ、ダイアローグコーチ(正確なスピーチ訓練の専門家)からは「黄色人種は臭いから窓を開けて」というようなことを言われたり、意地悪としか言いようのないことが多々ありました。あのときは、ハリウッドは私には無理だと思いました。

その後、企画・構成から演出、出演まですべてを手がける舞台『印象派』をスタート。それまでも演劇はやっていましたが、あのとき、集団の中にいる私が私らしくないと感じていて。だけど演劇は好きだから、大冒険だけどひとりでやってみようと立ち上げたんです。崖から飛び降りるような覚悟でしたが、そのほうが私らしいかなと。当時の日本では『印象派』のようなマニアックな表現はなかなか受け入れられなかったのですが、海外の演劇フェスティバルに参加すると、無名の私で席が埋まるのだろうかという心配をよそに満席に。カップルで来場したお客さまで、夫のほうがつまらないと感じて先に帰っても、おもしろいと思った妻はひとりで残る。みんな「個」で観るんですよね。前のめりで「ブラボー!」と言ってくれるから嬉しくなって、私も調子に乗っちゃう。結果、ドイツ、フランス、ポーランド、イギリスなど海外公演も含めて80以上のステージを重ねて、国内外で高い評価をいただき、今も創り続けています。

子どもは欲しかったけど『印象派』が私の子ども

その頃ね、女性なら40歳間近になると誰しも出産について悩むと思うのです。私も然り。結婚には興味はなくても子どもは欲しかったですね。でもその頃相手がいなくて、実現不可能。簡単に医学に頼る時代でもなくて、随分悩んだのですが、『印象派』で生み出す作品が私の子どもなんだと気持ちを切り替えました。

『印象派』によって、私は自ら「動く」ことを覚え、一歩動くとそこから発見があって、出会いがあって、次に繫がることを学びました。頭で考えるだけでは物事は進みません。アクションを起こしてみないと人間はわからないものですね。学生時代は運動が嫌いで、体育は具合が悪くなって休んでいた私が、ダンスが大好きだったことにも気づけました。続けることはきついけど、続いているってことは楽しいのです。自分らしく輝けるものを見つけることがポジティブに生きて行く秘訣だと思います。洗濯でも料理でも、それぞれ何だっていい。私自身、40代で輝けるものを見つけたことは本当にラッキーでした。

ドクターに言われるのが、「あなたの年齢でストレスのある仕事をやっちゃだめ」ということ。だから、台本をいただいた段階で、ちょっとでも引っかかるものがあれば名作であっても演りません。逆に何てことない脚本でも、私にとってチャーミングなことがひとつでもあると、みんなに反対されても「おもしろそうじゃない?」って選びます。

今の世の中、何が起こるかわからないじゃない?だからこそ、「楽しく生きる」。それしかないかな。

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