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夏木マリさん|40代でようやく見つけた私らしさ、私らしい表現

ライフスタイル

結婚10周年に結婚式を。次の20周年には披露宴を

59歳で結婚し、今春で10周年。結婚記念日が私の誕生日とも近いので、いつもは旅行に行くことが多かったのですが、今は海外に行けないでしょ?そうしたら98歳の義母が、「あなたたち結婚式挙げていないでしょ?やったら」と。そのときはごきげんなお洋服を着たいし、時間ないからと言うと、ノヴさんが「やろう」と言ってくれたのでやりました。場所は方角のいい乃木神社で、着物スタイリストの秋月洋子さんに白い着物をご用意いただき、ブーケは東信さん、ウエディングケーキはétéの庄司夏子さん、お弁当は後藤しおりさん、と最高の環境で神前結婚式を挙げることができました。何でも突発的なんです。やってみて実感したのは、式、披露宴、二次会と一度にやる花嫁さんはとても大変ということ。10年ごとに分けるのもいいなと思って、次の20周年があるとしたら、もはや「生前葬」になるねと言いながらも、披露宴ができるほどお互い元気だったら嬉しいですね。私たち夫婦は結婚が遅かったから、共に過ごす時間が少ないので、なるべく一緒にいたくて、わりと一緒にいます。年を経てからのほうが、夫婦って仲良しなんじゃないかな。

もともと私は結婚に興味がなくて、ひとりでいるほうが気楽だと思っていました。ノヴさんに出会ったのが50代。籍を入れることにこだわりはなかったのですが、義母が高齢で、中途半端なままでいるより、嫁になったほうが母が安心するかなと。あまりにもいい母で、家族になったほうがハッピーだと思ったんです。そういうところは真面目なのよね(笑)。

40代でようやく見つけた私らしさ、私らしい表現

19歳のときに本名で歌手デビューしたものの全然売れず。衣装と譜面とカバンを持って、キャバレーまわりをしていました。それが嫌で嫌でしょうがなく、一度はやめさせてもらったんです。ところが'73年に「夏木マリ」と芸名に変えたら「絹の靴下」が大ヒット。急に忙しくなり、食べない、寝ないでやっていたら、ある日現場で低色素性貧血でばたんと倒れました。血が透明になって、一歩間違えば命がなかったと言われ、800cc輸血をして何とか一命をとりとめました。3カ月で復帰したものの仕事は激減、またキャバレーまわりを再開して、計8年間。私にとってはトンネルの時代。やけくそでしたね。

30代でドラマや舞台をやってもどこか違和感を感じて、40歳間近に渡米。ハリウッド映画『ハンテッド』に出演しました。エンターテインメントの仕事をしていると、一度はハリウッドに行きたいと思うんです。オーディションを受けて合格したのですが、人種差別もあって辛い経験でした。主演のジョン・ローンさんですら「アジア人はどう頑張っても大変なんだ」と言うので、最初は半信半疑でしたが、本当に大変。rとthの発音も完璧を求められ、ダイアローグコーチ(正確なスピーチ訓練の専門家)からは「黄色人種は臭いから窓を開けて」というようなことを言われたり、意地悪としか言いようのないことが多々ありました。あのときは、ハリウッドは私には無理だと思いました。

その後、企画・構成から演出、出演まですべてを手がける舞台『印象派』をスタート。それまでも演劇はやっていましたが、あのとき、集団の中にいる私が私らしくないと感じていて。だけど演劇は好きだから、大冒険だけどひとりでやってみようと立ち上げたんです。崖から飛び降りるような覚悟でしたが、そのほうが私らしいかなと。当時の日本では『印象派』のようなマニアックな表現はなかなか受け入れられなかったのですが、海外の演劇フェスティバルに参加すると、無名の私で席が埋まるのだろうかという心配をよそに満席に。カップルで来場したお客さまで、夫のほうがつまらないと感じて先に帰っても、おもしろいと思った妻はひとりで残る。みんな「個」で観るんですよね。前のめりで「ブラボー!」と言ってくれるから嬉しくなって、私も調子に乗っちゃう。結果、ドイツ、フランス、ポーランド、イギリスなど海外公演も含めて80以上のステージを重ねて、国内外で高い評価をいただき、今も創り続けています。

子どもは欲しかったけど『印象派』が私の子ども

その頃ね、女性なら40歳間近になると誰しも出産について悩むと思うのです。私も然り。結婚には興味はなくても子どもは欲しかったですね。でもその頃相手がいなくて、実現不可能。簡単に医学に頼る時代でもなくて、随分悩んだのですが、『印象派』で生み出す作品が私の子どもなんだと気持ちを切り替えました。

『印象派』によって、私は自ら「動く」ことを覚え、一歩動くとそこから発見があって、出会いがあって、次に繫がることを学びました。頭で考えるだけでは物事は進みません。アクションを起こしてみないと人間はわからないものですね。学生時代は運動が嫌いで、体育は具合が悪くなって休んでいた私が、ダンスが大好きだったことにも気づけました。続けることはきついけど、続いているってことは楽しいのです。自分らしく輝けるものを見つけることがポジティブに生きて行く秘訣だと思います。洗濯でも料理でも、それぞれ何だっていい。私自身、40代で輝けるものを見つけたことは本当にラッキーでした。

ドクターに言われるのが、「あなたの年齢でストレスのある仕事をやっちゃだめ」ということ。だから、台本をいただいた段階で、ちょっとでも引っかかるものがあれば名作であっても演りません。逆に何てことない脚本でも、私にとってチャーミングなことがひとつでもあると、みんなに反対されても「おもしろそうじゃない?」って選びます。

今の世の中、何が起こるかわからないじゃない?だからこそ、「楽しく生きる」。それしかないかな。

夏木マリさんから40代に伝えたいメッセージ

考えるだけではだめ。自分が動くことで新しい自分を発見できます。私自身今でも動くことを意識していて、ヨイショで動いたとしても、四つん這いになってやっと動いてでもいいから、とにかく動くことです。

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2022年『美ST』1月号掲載
撮影/HIRO KIMURA(W) ヘア/TAKU(VOW-WOW) メーク/SADA ITO(DONNA) スタイリスト/仙波レナ 取材・文/安田真里 編集/和田紀子

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