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「子どもがちゃんと話してくれない…。」勘違いしやすい“子どもの話を聞く”の本質

子育て

こんにちは。家事シェア研究家の三木智有です。「子どもの話をちゃんと聞こう」とはよく言われますが、聞こうとするあまり言葉にさせ過ぎてしまってはいないでしょうか。じつは最近、そんな話を親御さんたちから聞いたのです。

聞いてるのにちゃんと答えない子どもたち

「今日学校であったこととか、子どもに色々聞いてるのに、ぜんぜんまともに答えてくれないの」
「この前、娘がいつの間にか勝手にハサミで自分の前髪ばっさり切っててびっくりしちゃった。でも、何度聞いても理由もはっきりしなくて」

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子育てをしていると、誰だって一度は子どもの話を聞くことの難しさに遭遇します。
上記のように話てくれたママさんたちも、ちゃんと答えてくれない子どもにもやもやしていました。

でも、ちょっと立場を逆転して想像してみてください。

じつは僕は、娘から「パパは仕事どうだったの?」と聞き返されて、全然うまく返せなかったことがありました。
「う〜ん。まあ、順調だったよ」みたいな。
これって、子どもの「普通だった」とまったく同じ返しだなと。

大人でも「言葉にする」のは難しい

大人でも、自分の気持ちやできごとを言葉にして伝えるのってすごく難しい。
今日の出来事なんて、よっぽど面白いことでもない限り、何も話すことなんてないのです。

「どんな些細なことでもいいんだよ」

って親は言うけれど、それじゃあ毎日毎日家族から「今日は何があったの?」って聞かれることを想像して欲しい。
間違いなくうんざりするし、面倒くさいし、嫌になるでしょう。

これは出来事だけに限りません。
たとえば前髪を切っちゃった女の子。「なんで切ったの?」と聞いても「切りたかった」と返ってくる。だから「なんで切りたかったの?」とさらに聞けば「切りたかったから」と返ってくる。そんな堂々巡りで、どうしても切りたくなった理由がわからないと言うんです。

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でもきっと、それ以上の理由なんてないんです。
「テレビで見たアイドルがかわいくて、同じ髪型にしたかったから」とか「前髪が目にかかって邪魔だったから」なんて理路整然とした理由を大人は聞きたがるけど、それを言葉にして伝えるのって本当に難しいのです。

話を聞くとは「言葉にさせる」ことではない

このように、「言葉にする」というのは難しいため、何度も問いただすと「何か答えなくちゃ」と追い詰められてしまいます。
つまり話を聞くをやりすぎると、それは「尋問」になってしまうのです。

「ねえ、なんで紙をテーブルに貼ってるの?」
なんて聞いてみただけで子どもってちょっと身構えたりすることがあります。こっちとしては、叱るつもりで聞いてないし、ただのコミュニケーションのつもり。だけど、なぜか問い詰められてるように感じてしまったりします。

だからこそ話を聞くには、観察をサボってはいけないのです。
紙をテーブルに貼って、そこに色を塗っている子をよく観察していると右手に赤色、左手に緑色の色鉛筆を持って塗っていました。

「紙をテーブルに貼ってると、両手で色が塗れるね」と言えば、身構えることもありません。
その理由がそうであれば、「その方法どうして思いついたの?」などさらに深く話は進むし、違えば本人が本当の理由を教えてくれるでしょう。

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子どもの話を聞くときに大事なのは、子どもの言語化を少しだけ手伝ってあげること。

あくまでも少しだけ手伝うのが大事なのであって、全部代弁してしまってはいけません。
子どもが詰まったり、答えにくそうだったり、支離滅裂な答えを言ったときに、それを少し整理して簡単な言葉に置き換えてみる。子どもが話さないうちに「こうでしょ」と言ってしまうのは代弁です。

話を聞くとは「話たいときに、向き合って聞くこと」

話したくないことを無理矢理に聞き出すことが「話を聞く」ことではありません。
むしろ、子どもが話したいときに向き合って聞いてあげればいい。
親が聞きたいときに、聞きたいことだけを聞き出していても、話をする方もしんどいでしょう。

話を聞いてあげたいと思うなら、子どもが話したいタイミングで聞くことを少し意識してみるのもいいかもしれません。

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