自分を愛する方法。つけたい習慣と実践したいこと
自分を愛したくない人間なんてあまりいなくて、強弱は問わず皆自分を愛したい欲は持っているはず。
そうはいっても、「さあ! 今から自分を愛してください!」と言われたところで、即座にそれができたなら長年こんなにも苦労はしていない。では、まず何から行うか。
それは……一緒にいて、違和感のある人間と離れる。これに尽きる。
長い時間を共にする人間からの影響は多大だ。自分が想像している以上に家族や恋人、同僚などから影響を受けていると言っても過言ではない。
いい影響なら未だしも、悪い影響をこれでもかと受けてしまえば、自分を愛するどころか、自己嫌悪へとまっしぐらだ。
毒親に育てられた子どもは自己肯定感が低いように、大人でもまわりの人間からいい扱いをされていなかったり、言動を取られていなかったりすれば、どんどん心身共に荒んでいく。
なので、とにかく少しでも「ん?」と思う人からは離れる。そして、近づかない。
人間はよくできているので、そういった直感は馬鹿にならないほど当たる。
悪い影響を与えてくる人との縁を切っていくと、不思議と自分が愛したい・自分を愛してくれる人との縁が繋がっていく。
人間関係の断捨離が愛への最短ルートと主張したい。
自分を愛すると夢は叶う?
自分を愛するようになれば、愛せるようになれば、自ずと自分が不快感を抱くモノや人を近づけなくなっていく。「なんで愛する私にそんなことをするのか」というフィルターを掛け、判断ができるようになり、より自分がしたいことや自分が大切にしたい人にだけ時間を割けるようになる。
そうすれば、無駄なことにキャパシティを割く必要が無くなって、自分の願望にフォーカスしやすくなり、結果的に自分の夢が叶っている……というパターンが多い。
自分を愛している上で八方美人のような振る舞いをするのはもはや趣味嗜好だが、そうじゃないのであれば、自分を愛することは人生における選択がうまくなると同義なのかもしれない。
仮に自分がDV浮気男と付き合っていたとして、自分を愛していればすぐに別れを選べるだろう。だがしかし、自分を愛していなかったら……想像しただけでも恐ろしい。
自分を愛することは強要するものでもないし、愛せないなら愛せないでもいい。それはもう人それぞれとしかいえない。愛せないからといって、糾弾されることでもない。
だけど、この人生で何か叶えたい夢があるならば、少しでもいい。ほんの少しでもいいから、愛せる努力をしてみるに越したことは無い。
自分を、他人を、誰が対象でも、愛するということには鍛錬が必要なのだから。
(文:マドカ・ジャスミン、イラスト:カーリィkaarii/@akari_0119)