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「自分を愛せたら人生がラクになる」理由

恋愛・結婚

「自分を愛しなさい」とよく言うけれど、その本当の意味を知っていますか? 自分を愛することの効果とは何か。自分を愛する方法とはどうすればいいのか。コラムニストのマドカ・ジャスミンさんに教えてもらいました。

マドカ・ジャスミン

「自分を愛せない限り、他人を愛せない」恋愛本や自己啓発書によく並べられるフレーズだ。自称恋愛カウンセラーやモテ指南を行っている人々のSNSアカウントを除いても、必ずといっていいほど目にする。

確かに自分を愛さなければ、好きな人や親しくなりたい人が現れても、上手く自己アピール出来ずにその感情を押し殺して終わるパターンもなくはない。

しかし、脅迫めいた「自分を愛せ」は、人によっては凶器と化してしまう諸刃の剣だと私は考える。

自己愛、自己肯定感……当てはまりそうな言葉は多いけれど、私たちはきっとその本質についてきちんと考えたことがないかもしれない。

そもそも、何故自分を愛さなきゃいけないのか。というか、自分を愛するとはなんなのだろうか。

自分を愛するとはどういうこと?

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自分を愛する。そう聞かれたとき、あなたなら何を想像するだろうか。

ライフアンドワークバランス? 相手優位にならない人間関係? 自己投資? 人それぞれによって答えは違うだろうが、大体はこういった内容だろう。

よく女性誌などで「ご自愛♡」といった触れ込みの美容法が綴られているが、蓋を開ければ、私からすればどれも“ご自愛”からは程遠いものに思える。

自分の容姿を磨くことで自信を持てるのは間違いないが、それも行きすぎてしまえば自分の首を締めてしまいかねない。最初は楽しかったダイエットやスキンケアも、度を越していけば一種の束縛ともいえる。

そんな自分を愛せているならいいが、中には苦しくなり自暴自棄になってしまう人もいるのが現実だ。ちなみに私もそのタイプ。

愛するというのは受容とも言い換えられ、だとすれば、本来の“ご自愛”はありのままの自分を受け入れることではないのだろうか。

問題なのは、ありのままの自分を鏡に映せば、思わず溜息を吐いてしまうこと。

愛する……受容するのは、一筋縄ではいかない。

自分を愛することの効果

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とはいえ、私のようにギスギスと生きてしまいがちな人間もいれば、世間が掲げるベストから逸脱していても、飄々とし満足げに生きている人間もごまんといる。

学校は中退していても、仕事をしていなくても、世間から怪訝な視線を送られる容姿をしていても、人間関係の構築が困難な性格でも、それでも自分を愛していたとすれば、そんなことも気にも留めずに彼・彼女らは悠々自適に今日も生きているわけだ。

私も元来は非常に自分のことが嫌いだった。今も完全に愛せているとは言い難いが、昔よりはだいぶマシ。

少しでも自分を愛そうと思ったキッカケは、友人からの「なんで自分の一番の味方である自分と戦うの?」だった。一理どころか百理ぐらいあるその言葉に納得し、微々たるながら日々自分を愛す努力をしてみると……段々と心がラクになっていくことに気づく。

心がラクになれば、心に余裕を持てる。心に余裕があれば、他人にも柔和に接せられる。

これこそが「自分を愛せない限り、他人を愛せない」だったのだ。

自分を愛せないことの弊害

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逆に今まで自分をちっとも愛せないことでどんな弊害があったか。

とにかくどんな場面でも、自分が傷つく方向へと突っ走っていた。そして、傷ついたとしても、傷ついている自分を無視し、「仕方ない」と割り切るフリを重ねる。

成功は他人のお陰、失敗は自分のせい。

見ようによれば、他者責任ではなく、自己責任を全うしていると称賛される場合もある。だが、過剰な自己責任は自傷行為と大差ない。

もちろん、他者責任はよくないけれど、理不尽やアクシデントには他者責任を適用させても誰も咎めたりはしないだろう。

何よりも、自分を守る。いついかなるときも、自分第一主義。

これを自己中と評して笑う人と離れることが、自分を愛することの第一歩なのだ。

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