「自分を愛せない限り、他人を愛せない」恋愛本や自己啓発書によく並べられるフレーズだ。自称恋愛カウンセラーやモテ指南を行っている人々のSNSアカウントを除いても、必ずといっていいほど目にする。
確かに自分を愛さなければ、好きな人や親しくなりたい人が現れても、上手く自己アピール出来ずにその感情を押し殺して終わるパターンもなくはない。
しかし、脅迫めいた「自分を愛せ」は、人によっては凶器と化してしまう諸刃の剣だと私は考える。
自己愛、自己肯定感……当てはまりそうな言葉は多いけれど、私たちはきっとその本質についてきちんと考えたことがないかもしれない。
そもそも、何故自分を愛さなきゃいけないのか。というか、自分を愛するとはなんなのだろうか。
自分を愛するとはどういうこと?

自分を愛する。そう聞かれたとき、あなたなら何を想像するだろうか。
ライフアンドワークバランス? 相手優位にならない人間関係? 自己投資? 人それぞれによって答えは違うだろうが、大体はこういった内容だろう。
よく女性誌などで「ご自愛♡」といった触れ込みの美容法が綴られているが、蓋を開ければ、私からすればどれも“ご自愛”からは程遠いものに思える。
自分の容姿を磨くことで自信を持てるのは間違いないが、それも行きすぎてしまえば自分の首を締めてしまいかねない。最初は楽しかったダイエットやスキンケアも、度を越していけば一種の束縛ともいえる。
そんな自分を愛せているならいいが、中には苦しくなり自暴自棄になってしまう人もいるのが現実だ。ちなみに私もそのタイプ。
愛するというのは受容とも言い換えられ、だとすれば、本来の“ご自愛”はありのままの自分を受け入れることではないのだろうか。
問題なのは、ありのままの自分を鏡に映せば、思わず溜息を吐いてしまうこと。
愛する……受容するのは、一筋縄ではいかない。
自分を愛することの効果

とはいえ、私のようにギスギスと生きてしまいがちな人間もいれば、世間が掲げるベストから逸脱していても、飄々とし満足げに生きている人間もごまんといる。
学校は中退していても、仕事をしていなくても、世間から怪訝な視線を送られる容姿をしていても、人間関係の構築が困難な性格でも、それでも自分を愛していたとすれば、そんなことも気にも留めずに彼・彼女らは悠々自適に今日も生きているわけだ。
私も元来は非常に自分のことが嫌いだった。今も完全に愛せているとは言い難いが、昔よりはだいぶマシ。