9月19日は、俳人・正岡子規(1867~1902)の命日「糸瓜(へちま)忌」でした。東京都台東区根岸には、子規が亡くなるまでの約8年半を過ごした「子規庵」があります。現在、特別開庵中(9月25日まで)の子規庵について、おでかけ好きの編集者Iが紹介します。
没後120年目の「糸瓜(へちま)忌」特別開庵/子規庵
JR鶯谷駅北口から徒歩約5分。ラブホテル街を通り過ぎると、一角だけ雰囲気の異なる古い木造平屋の一軒家があります。ここが「子規庵」です。
前に通った時は、表門は開いていなかったのですが、この日(9月19日)は開いていました。
玄関を上がり、8畳の客間の先に目をやると、緑で覆われた美しい庭の光景が・・・。一瞬にして、別世界に入り込んだような、静寂な雰囲気に包まれました。
客間の隣は6畳の書斎(病室)です。子規はここで病に伏せながら、高浜虚子や伊藤左千夫、長塚節たちと句会や歌会、文学談義などをしていたそうです。句会には、友人の夏目漱石や森鴎外、与謝野鉄幹たちも参加したと伝えられています。
写真の右端に机がありますが、机の手前が四角くくり抜かれているのが確認できます。これは、子規が脊椎カリエスという病にかかり、伸ばせなくなった左ひざを立てて執筆ができるよう特別に作らせたもの。机の前に座り、庭の草花を眺めていると、在りし日の子規の姿が浮かび上がってくるような気がしました。
子規が亡くなった後、母・八重と妹・律はここに住み続け、2人が亡くなった後も、子規門人たちが子規庵を守り続けました。
昭和20(1945)年4月4日の空襲で建物は全焼しますが、昭和25(1950)年、子規の高弟である寒川鼠骨(さむかわ そこつ)たちの尽力により再建され、現在に至るそうです。
庭には、寒川鼠骨の句が書かれた石碑や子規が使用した井戸跡がありました。
庭には、子規の筆跡や濃淡を再現した「絶筆三句」が書かれた石碑もあります。
・をとゝとひの へちまの水も 取らざりき
・糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな
・痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
「ヘチマ三句」とも呼ばれる辞世の句ですが、子規の命日が「糸瓜(へちま)忌」と呼ばれる理由は、この辞世の句にあったんですね。
特別開庵中の子規庵では、子規が毎日の献立を記録したものを参考に、ボランティアスタッフが実際に調理したメニューの展示も。今年修復の終わり、特別公開されている子規文庫(土蔵)では、硯やシャープペンシル、黒眼鏡など子規の遺品を見ることもできました。
この日は台風の影響で雨が降ったりやんだりしていましたが、庭の草花は生き生きと咲いていました。庭の手入れや部屋の掃除などは、すべてボランティアの方々が行っているそうです。
そのボランティアの方々が集まり、歓声を上げていた先にあったのは、かわいらしい糸瓜(へちま)の実。例年であればもっと大きくなるそうですが、これからの成長が楽しみです。
子規庵の「糸瓜忌特別開庵」は9月25日(日)まで。この機会にぜひ、子規の世界観をお楽しみください。
「糸瓜忌」特別開庵
開催期間:9月17日(土)~25日(日)
開庵時間:10:30~12:00、13:00~16:00
入庵料:500円(中学生以下無料、20名以上団体割引あり)
※詳細は、公式ホームページや子規庵のSNSをご覧ください。
子規庵
所在地:東京都台東区根岸2-5-11
電話番号:03-3876-8218
最寄駅:鶯谷
当サイト内のおでかけ情報に関して
※本記事は2022年09月22日時点の情報です。掲載情報は現在と異なる場合がありますので、事前にご確認ください。
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、掲載している情報に変更が生じる場合があります。最新情報は直接お問い合わせください。
※おでかけの際はマスクの着用、手洗い・手指消毒などを心がけ、感染拡大の防止に十分ご配慮いただきますようお願いします。
※本記事中の金額表示は、税抜表記のないものはすべて税込です。