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「おせち」を食べる意味って?由来や歴史などを分かりやすく解説!

お正月に食べる「おせち」とは、どのような意味か知っていますか?この記事では、おせち料理の由来や食べる意味などを解説します。日本古来の伝統とされているおせち料理ですが、実は意外な歴史があるんですよ。知っているようで知らない、おせちについてご紹介します♪2023年12月28日 更新

正月料理「おせち」の意味とは

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おせちは漢字で「御節(おせち)」と記します。漢字の由来は「御節供(おせちく)」。御節供とは節句のことで、「桃の節句(3月3日)」、「端午の節句(5月5日)」などでも知られるように、季節の変わり目の行事を指す言葉を意味します。

御節供(節句とは)

おせちの元となる御節供は、江戸時代に中国から伝来しました。中国で用いられていた暦上の風習が日本にも取り入れられたのが始まり。いくつかある風習のうち、5つが公的行事になり、以下の5つの風習が「五節句」と定められました。

・1月7日(七草の節句)
・3月3日(桃の節句)
・5月5日(端午の節句)
・7月7日(七夕)
・9月9日(重陽の節句)

これらは、現代でも日本の風習として受け継がれていますね。

おせちの始まりは五節句の祝い料理

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節句の日である「節日」には、神さまに食べ物をお供えする風習がありました。現代でも、1月7日は七草粥で邪気を払ったり、3月3日の桃の節句ではひなあられやはまぐりの潮汁を食べて、女の子の成長を祈ったりしますよね。

こうしてお供えした食べ物は「おせち料理」と呼ばれ、家族みんなで食べたのがおせちの始まりです。

節日に食べていた祝い料理は、しだいに正月の祝い膳を指すようになり、現在では正月に食べる料理=おせち料理として定着しました。

おせちの歴史

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唐の時代の中国が由来

唐の時代の中国では、一年を竹の節のように区切っていました。なかでも特別な日を「節」と呼んでいました。日本もこれを踏襲するようになり、節をお祝いする日を「節日」と呼ぶようになりました。

奈良時代に宮中行事に

奈良時代になると、前述の「五節句」は宮中行事として執りおこなわれました。宴席で供された食事は「御節供」と呼ばれ、おせちの語源になったとされています。

江戸時代に庶民に広まった

おせちが庶民に広まったのは江戸時代。とはいえ、現在のように正月のみに食べていたわけではありません。季節の変わり目を祝い、収穫した食べ物を神さまにお供えする節日に食べていました。

おせちを食べる意味とは

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おせちは、正月に訪れる歳神さまをお迎えし、新年に幸せが多く訪れるように願う心をこめて作られる料理です。そのため、食材の語呂合わせして、縁起を担いでいます。ここでは、主なものをご紹介しますね。

・昆布:「養老昆布(よろこぶ)」とも書き、「喜ぶ」を意味する
・鯛(たい):「目出鯛(めでたい)」とも書き、「おめでたい」を意味する
・数の子:卵の数が多いことから、「一家の繁栄」につながる意味がある
・黒豆:真っ黒になるまで「まめ(健康)に元気で働けるように」との願いがこめらえている
・橙(だいだい):「代々繁栄する」を意味する

おせち料理は江戸時代から続く祝い料理

おせち料理の由来は、唐の時代の中国にさかのぼります。季節の変わり目を祝う料理として作られたのが始まりです。現代でもなじみがある、七夕や端午の節句などにも関連している行事でした。

新しい年に、幸せが多く訪れるようにと願いをこめて作られるおせち料理。ひとつひとつの料理の意味に思いを馳せて食べてみてはいかがでしょうか?

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