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アラサー女子にも響く…!『漫画 君たちはどう生きるか』大ヒットの秘密 #8

2017年8月に発売された『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス刊)は、売り上げを伸ばし続け、すでに200万部を突破! 出版不況のご時世、またたくまにダブルミリオンを達成するなんて、ただただ「すごい!」のひとことです。こちらは1937年に発表され、読み継がれてきた吉野源三郎氏の同名小説を、80年の時を経て羽賀翔一さんが漫画化したもの。名著を読むタイミングを逸していたという方も、活字はちょっと苦手という方にも、また大切な方への贈り物にもおすすめの1冊。「自分の生き方を決定できるのは、自分だけだ」など、女性にも響く名言が満載です!

名著を漫画化。社会現象を生むベストセラーに

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大きく見開かれた瞳、きつく結ばれた唇。強い意志を持った少年のイラストが印象的な『漫画 君たちはどう生きる』(マガジンハウス刊)。この少年こそ、主人公のコペル君です。コペルというのはあだ名で、地動説を唱えた(=信じられてきた事実が間違っていると訴えた)コペルニクスから名付けられました。名付け親は彼の叔父(おじさん)です。

旧制中学に通う15歳、思春期真っただ中にいるコペル君にとって、適度な距離を保ちつつ、近くで見守ってくれる元編集者のおじさんは頼りになる存在。困ったことがあると相談するのが日課です。いっぽう、おじさんもまたコペル君との会話から多くの気づきや刺激を得て成長していく。そしてそれらの気づきやコペル君へ伝えたいことをノート(通称「おじさんのノート」)につづるようになるのです。

本書は、コペル君の学校生活(いじめなどを描く漫画パート)と、「おじさんのノート」を中心とした活字パートで構成されています。

漫画にしたことで手にした人も多かった

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原作をバイブルのように愛読している人は大勢います。たとえばジャーナリストの池上彰さん。新装版(マガジンハウス)ではまえがきも担当し、たびたびテレビ番組や自著で紹介しています。また宮崎駿さんが同名の映画を制作すると発表したことも記憶に新しいニュースです。

このように多くの知識人が「影響を受けた」とたたえるいっぽうで、「古い本だし読みづらそう」「説教くさそう」など、いわゆる「読まず嫌い」の人が多かったのも事実。

そんな人たちにも届くようにと、やはり原作の愛読者だったという編集者が今回の漫画化を企画・模索したのだとか。原作の持つ魅力は損なわぬまま、親しみやすく手にしやすい漫画という媒体になったことで読者の裾野が広がり、爆発的なベストセラーへとつながったのです。

原作の持つ圧倒的な力と、その哲学を今の人たちに届けたいと望んだ編集者、そして魂をこめて物語をつむいだ漫画家・羽賀翔一さんの情熱が結実した結果だといえましょう。

池上さんが某番組でこんなニュアンスのことを語られていました。「原作が出版された戦時中の重苦しい空気と、誰かの発言や行動がネットで炎上したりという現代社会の空気に共通するものがある」と。「なんとなく生きづらい」という曖昧な不安を抱える現代人に、そっと寄り添ってくれる。そんな内容もぴったりはまったのかもしれません。

子どもだけでなく大人だって成長できる

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クラスでいじめを受けている浦川君をどうやったら助けられるか――。コペル君はおじさんに問いかけます。「そんなとき、どうすればいいのか……」と。おじさんは明快にこう答えます。

「そりゃあ コペル君 決まってるじゃないか」
「自分で考えるんだ」

大人が子どもの相談を受ける場合、どうしても上から目線になってしまいがちです。少しばかり長く生きているというだけで先輩風を吹かせてしまう……。けれど、おじさんは違います。コペル君から「自分で考え、行動する」機会を奪わなかった。原作ではコペル君に「教えている」というシーンが多かったけれど、この作品ではおじさんも迷ったり悩んだりしていて、「大人だった迷うし悩むよね」と親近感が湧くのです。

「おじさんのノート」には、こんな言葉がつづられています。

英語や、幾何や、代数なら、僕でも君に教えることができる。しかし、人間が集まってこの世の中を作り、その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということにどれだけの意味があるのか、どれだけの値打ちがあるのか、ということになると、僕はもう君に教えることができない。
それは、君がだんだん大人になってゆくにしたがって、いや、大人になってからもまだまだ勉強して、自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ。

間違いに「NO!」と言える勇気を持つこと

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ネットには悩み相談に乗ってくれる交流サイトが氾濫し、SNSにも「名言」的な言葉があふれています。それらを否定するわけではないけれど、他人が導き出した答えをそのまま自分のものにするのはいかがなものか。内なる自分の声に耳を傾け、自分で考えろ――。おじさんにそう言われているような気がして、ページをめくりながら何度も鼓舞されました。

少し前からインターネット上でセクハラなどの経験を告白・共有する「♯Me Too」の運動がさかんになっています。脈々と根付いてきた「社会人ならセクハラも仕事の一部」「みんな耐えてきたんだから」といった我慢を強いる風潮に対し、「間違っている!」と声を上げた人がいた。この一連の動きを知ったとき、私はすぐこの作品のことを思い浮かべました。

間違ったことがまかり通っているまま、次の世代にバトンを渡してはいけない。変えたいと思うなら、きちんと声に出して「NO!」と言わなくちゃいけないんだ、と。

世の中の常識は変えていける

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そしてこうも思いました。

セクハラだけでなく、すべての慣例に対し、「言っても何も変わらない」とか「前例がない」などと諦めてしまっていることがたくさんある。でも、気づかないふりをしたり、諦めてしまったら永遠に何も変わらないぞ、と。

まず「常識を疑う」ことから一緒に始めませんか? 自分や周囲の人たちが心地よくいられるために自分が何をすべきなのか……。コペル君が自分自身で考え、勇気を持って行動したように、私たちも思考&行動あるのみです!

この作品に描かれている通り、「自分の生き方を決定できるのは、自分だけ」なのですから。

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