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[2/22〜2/28の運勢]2月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

占い

isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

ひびきとコトバ

今週のかに座は、日常の水平的なコミュニケーションとは異なる、垂直的なコミュニケーションと関わり合っていくような星回り。

「籟(らい)」とは風がものにあたって発する音のことであり、その響きのこと。古代中国の『荘子』には、地上の風穴や楽器の響きがコトバになるという「天籟」「地籟」「人籟」という表現が出てきますが、「天籟」に関しては哲学者の井筒俊彦が次のように述べています。

「人間の耳にこそ聞こえないけれども、ある不思議な声が、声ならざる声、音なき声が、虚空を吹きわたり、宇宙を貫流している。この宇宙的な声、あるいは宇宙的コトバのエネルギーは、確かに生き生きと躍動してそこにあるのに、それが人間の耳には聞こえない。」(「言語哲学としての真言」)

籟という声ならざる「声」は人間の耳には聞こえないけれど、胸には届く。そして胸が痛み、張り裂け、あるいは、心の琴線に触れる、と私たちは言う。その時、私たちは図らずも「天籟」のひびきと重なりあって、自他の区別をこえた調和の世界に入っていくのです。あなたも、そんな耳には聞こえない不思議な声とみずからのひびきが重なりあっていく瞬間を見逃さないようにしていきましょう。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

道化と錫杖

今週のしし座は、手探りで創り上げてきた目に見えない資産を、再確認していくような星回り。

「春泥にゆきなやみたる杖を突き」(緒方句狂)というの句の中七は、「行き悩みたる」だろうか。しかし、これをあえてひらがなで表記したところにも工夫があるように思えます。作者はもともと炭鉱夫として働いていましたが、30歳を過ぎてからダイナマイト事故で失明し、それから俳句を始めた人。

掲句では世界が冬の硬質な輪郭を失い、春の陽気のなかで溶けあっていくさまを表わした「春泥」という事態に、ひとつひとつ手探りで向きあっている作者の内面がそのまま言語化されたかのような印象を受けます。同時に、そこではもう一つの目となり手足となってきた「杖」に助けられ、泣き笑いして、苦労を共にしてきた杖への言葉にできない信頼感や一体感も伝わってくるはず。

恐らく、作者は盲目になったことを不幸であったか幸福だったかという次元では捉えていなかったのでしょう。彼はただ与えられた常闇の世界のただ中で杖を突き、静かに句を作ってそれを命としていったのでは。あなたもまた、知らず知らずのうちに蓄えていた資産の心強さを改めて実感していくことができるかも知れません。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

武器をとり夢を放つ

今週のおとめ座は、脳髄の祝祭という時間を生きるような星回り。

かつてベンヤミンはボードレールの代表作を取りあげて「武器庫としての『悪の華』」と書きましたが、「香水の壜」という詩では「住む人もない廃屋(あばらや)で、歳月の黴くさい臭ひに満ちた 埃の積もつた眞黒な 衣装箪笥を開けた時、時をり人は 昔の壜を見つけ出す。思出が詰められてゐる その中から 魂が蘇つて来て 生き生きと 迸り出る。」と記されています。

ボードレールはかつての体験をずっと後になってから加工していく詩人であり、その原稿は推敲につぐ推敲で嵐のようにごった返しており、いったい何度加筆の手を入れたのか分からないほどだったそう。

そうして彼は記憶の中の「廃屋」の引き出しに封じられた「思出」を覗いては、事物どうしの化学反応においてよみがえる悪を昇華して、あえて精神の「苦味」のもたらす快楽に溺れていったのです。あなたも自分なりの「衣装箪笥」や「昔の壜」を見出して大いに精神を昂ぶらせていきたいところ。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

無言の会話

今週のてんびん座は、半分日常半分非日常のような日々を過ごしていくような星回り。

それはまるで「春炬燵その人と居てつらくない」(佐藤智子)という句のよう。春が来ても仕舞いそこねたまま残っている炬燵には、どこか罪悪感を覚えてしまうもの。作者にはそんな春炬燵に一緒に足をつっこんでいても、一向につらく感じない相手がいると言うのです。

恐らくその相手と居るときは自分を責めずにいられるのでしょう。夜中に炬燵の上でどうしても食べたくなったアイスを食べてしまったり、食器を片づけないまま炬燵で寝てしまったりしたとしても、だいじょうぶ。

過去に抱いた人には言えないこんな思いやあんな考えも、不思議とここなら吐露できる気がしてくるし、逆にどんな相手の話も鷹揚に聞ける気がしてくる。と、なんと春みたいにおめでたくて、ほわほわとした愛の表現なのでしょうか。あなたもまた、やさしく包み込むように自分自身の頑なな部分を許してほどいていくことができるかも知れません。

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