今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
僕たちは手を引かれ、支えられて生きている
今週のさそり座は、生活と言葉の一致をあらためて図っていくような星回り。
秋刀魚(さんま)は新鮮なものを塩焼きにして食べるのがいちばんですが、一夜干しにして食べるのもなかなかうまい。「冬空に吊して秋刀魚五千匹」は、作者・阪ひとしの故郷である、熊野あたりの漁港の冬景色を詠ったものなのでしょう。五千匹という数は海の豊穣を讃えるのには十分過ぎるくらいですが、むしろその数の多さは冬空とあいまって、濃厚な死の気配さえ醸し出しているように感じます。
現代では、こうした自分たち人間の生活がどれほどの犠牲の上に成り立っているのかを直接的に実感する機会はすっかりなくなってしまいましたが、だからこそ作者はあえてこうした句を詠んでみせたのかも知れません。
いったんそう考え始めると、掲句の秋刀魚もまた次第にただの食料ではなくなっていき、生者の傍らにある「死者の共同体」のようにも感じられてきます。あなたもまた、自分が思いがけないネットワークの一部であることに改めて気付かされていくことでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
器をいったん空にする
今週のいて座は、あきらめからあきらめに移行していくような星回り。
ヨブは金持ちであり、子供たちや友人にも恵まれ、その人生はすべてが順調で、しあわせであった。しかし突然、彼は貧乏になり、病気になり、人びとから見捨てられてしまいました。現代人はこれをあまりに理不尽な話だと感じることと思いますが、ヨブにとっては当然のことのよう見えていました。
というのも、ヨブの生きた世界では、この宇宙はわれわれ人間よりもはるかに力の強く、ひとりの人間がいくら決意をもって対峙し、訴えようとも、びくともせず、何ら変更できないものであったからです。そこではこの世界はすべて、ただ一つの意志から始まり、人間の精神はまだ眠っており、そこにはただただ圧倒されるだけの、あきらめだけが残されていたのだと言えます。
しかしヨブは、自分にすべての原因があったのだと認めるように忠告してきた友人の勧めに反して、唯一の神、残忍な神を拒絶しました。その根底にあったのは、精神の目覚めであり、あえてやる力の発動であり、自らを救ってくれるのは自分しかいないのだという、これまでとは別種のあきらめに他ならなかったように思います。あなたも、みずからの身に重くのしかかっていた呪いをくみほどいていくことがテーマとなっていきそうです。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
制限と遊び
今週のやぎ座は、さまざまなものが自分を通して交錯していくような星回り。
あやとりの「エッフェル塔」と言えば、どちらかというと「東京タワー」という名称の方が一般的ですが、「あやとりのエッフェル塔も冬に入る」の作者・有馬朗人は、実際に行ったことのある本物のパリのエッフェル塔に思いを馳せたのでしょう。灰色の空に、どんよりと雲が低くたれ込めたパリの冬が、身辺にはじまったように感じた訳ですが、思いを馳せる先のはるかな遠さと対照的な手元の近さや細やかさが掲句の大きな特徴ともなっています。
じつはあやとりは日本人に限らず、さまざまな民族によって世界中で独自に編み出されてきた遊びであり、特に文字を持たない民族にとっては、大切な神話や伝承を伝えていく役割を担っており、動物や自然、神話の登場人物を含めると、少なくとも約三千種類の形が確認されているそうです。
その意味で、糸と指の関係を記号化する遊びは掲句のように異なる空間を繋ぐだけでなく、はるかな過去と未来とを結んでいく営みでもあるのだと言えます。あなたもまた、自分がどのような伝承の繋ぎの役割を果たしていくべきなのか、改めて思いを巡らせてみるといいでしょう。