調理場と生活空間の距離を近づけた間取りが一般的になった昨今。大きく変わりつつある「キッチンの在り方」の理想を求めて、さまざまなキッチンをご紹介します。今回は、英国料理研究家として多方面で活躍している綾夏さんのキッチンにおじゃましました。
macaroni編集部
キッチンを見せてくれた人
綾夏/英国料理研究家、フードコーディネーター
ヴァイオリンを学ぶため15歳で単身渡英。4年間をロンドンで過ごし、ヨーロッパの多彩な食文化に触れたことで食の楽しさに開眼する。帰国後はフードコーディネーターSHIORI氏、フードデザイナー小沢朋子氏(モコメシ)のアシスタントを経て独立。現在、料理教室の講師を務めるかたわら、個展のオープニングパーティやホームパーティなどのケータリング業、メディア向けのレシピ考案などで幅広く活躍中。2016年より料理教室「AyakaCooks」主宰。
イメージしたのはロンドンの人気カフェ
欧州のインテリア誌から切り取ったような空間がそこにありました。まぶしいほどの陽光が差し込み、30平米ほどという面積以上の広さを感じさせるダイニングキッチン。イギリス料理を得意とする英国料理研究家/フードコーディネーター、綾夏さんのアトリエです。
2018年10月に開設したばかりとのことですが、真新しい部屋にありがちな落ち着かない様子は微塵もなし。すでに数年を経たかのようにそれぞれの要素が馴染んでいて、手入れされたアンティーク家具にも似た雰囲気を漂わせています。
設計を手掛けたのは、綾夏さんのお父様。元建築家というキャリアを生かし、「自分の頭にあったイメージを見事に再現してくれました」と綾夏さん。そのイメージとは、ロンドンにある「エランカフェ(elan café)」。
「ロンドンのエランカフェは、埋め尽くすように花が飾られた行列店です。パステルカラーが彩る店内は“映え”の要素に満ちていて、インスタグラマーが集まるカフェとしても有名。パステルカラーが彩るこのお店のインテリアは、ピンクをおしゃれに使うという点で良い参考になりました」
なによりこだわったのはピンクのトーン。好きな色をただ使うのではなく、居心地の良さを重視して色味を探したといいます。理由は、子供に英語で料理を教える教室の開講を目指しており、母親もセンシティブな子供も安心できる場所にしたかったから。
そうして見つけ出したのが、カウンターや壁を飾るタイル、カーテンなどに採用したグレイッシュなペールピンク。特にタイルについては目地の色にもこだわったとのこと。
日差しを受けて色を変えるピンクのタイル。目地のグレーが締まった印象を与える。
「濃いグレーにしたことでキッチン全体の雰囲気が引き締まったと感じています。ピンクは好きでも少女趣味のガーリー過ぎる空間にはしたくなかった。加えて、グレーの目地は汚れが目立たない。以前のアトリエはタイルも目地も白だったんですが、使ううちに見栄えが悪くなり、ふいても落ちなかった。その反省もあっての色選びでした」
素材感を生かすUKスタイル
壁面を飾る英国の雑誌。右上が「カントリーリビング」。
イギリスのインテリア誌「カントリーリビングUK(Country Living UK)」も、綾夏さんがキッチンの全体像を決める助けとなったといいます。
「カントリーリビングUKはイギリスの伝統的なライフスタイルを紹介する雑誌。ナチュラルでスタイリッシュなグラビアの数々……、そこに共通するUKらしさを自分のキッチンにも盛り込みたかったのです」
綾夏さんの言う“UKらしさ“とは、あまり手を加えず、素材感を生かすこと。思えばイギリス料理にも同じ特徴があります。野菜の皮は剥かず、ヘタも取らず、そのままの美しさを残して調理し、香ばしい一品に仕上げていく。そういう精神性をもつ彼の国で4年を過ごし、イギリス料理を愛する綾夏さんにとって、UKらしさは理想のキッチンに欠かせない要素だったに違いありません。
綾夏さんのシンクと作業台。足場板をふんだんに使った、お父様のハンドメイド品。
アトリエの中で特に強くUKらしさを感じる箇所が、シンクと作業台。既製の品ではなく、お父様のハンドメイドです。
「まっすぐな板でないと台には使えませんから、1本1本しっかり見て、選び抜いたもので施工してもらいました。足場板として使用されていた頃の風合いが残っていて、ペンキ汚れもそのままです」
ずっと昔からそこにあったかのような佇まい。年月により素材に宿ったものを削がず、大切にしてつくった結果です。塗料や加工で安価な新材を古材のように見せることもできたはずですが、「それは嫌だったんです」と首を振りながら綾夏さん。古材にかかる費用と天秤にかけても譲れない部分だったのでしょう。綾夏さんはあくまで好みの話と言っていましたが、正しく時経たものにしかない魅力というのは確かにあります。
会話をしやすいテーブルの幅
ダイニングテーブルの幅は70cmほど。対面で話しやすい、絶妙な距離感。
作業台とシンクの正面には、不揃いに板が並んだダイニングテーブルが置かれていました。綾夏さんは、この品を選ぶ際もかなり悩んだといいます。頭を抱えて迷った末に選び抜いたテーブル、決め手となったのは天板のユニークな形状ではありません。一般的なダイニングテーブルよりも心持ち狭い幅こそ、もっともこだわった部分。
「幅が広すぎると対面の人を遠く感じるし、短ければ食事を置きづらい。ではどれくらいがいいのか。私は70cm前後がベストと考えました。会話をしやすい距離感と、テーブルとしての機能性。その両方のバランスを考えると、これくらいが落としどころになるんです」
綾夏さんにとってのキッチンとは、「人が集まる場所」。だからこそ、より話をしやすい場所になるようテーブルの幅には妥協したくなかったといいます。イギリスに留学していた頃、彼女の部屋には多くの人が集まり、入れ替わり立ち代り料理をしていたとのこと。それは特別なことではなく、イギリスの家庭ならどこもそう。
「イギリスにはキッチンとダイニングの間にリビングがある家が多くて、歓談の場と調理スペースを容易に行き来できる。料理する人と食べる人がおしゃべりしながら楽しむスタイルができあがっているんです」
料理教室やパーティーを行うことも多いアトリエ。だからこそ、イギリスで経験したキッチンのあり方を実践しようと考えたのでしょう。ロンドンで学んだUKスタイルのキッチンこそが、彼女の理想の源泉です。
「こうしたかったという理想と、以前のアトリエに感じていた不満。それらとしっかり向き合って、一から全部自分で決めてこのアトリエをつくりました。だから、満足度は100点満点で180点!心から気に入っています」