まごころ
恋とは一方通行で、文字通り「下ごころ」で成り立っているのに対し、愛は真ん中にこころがある「まごころ」という構成になっています。
恋は「私のことを見てほしい、好きになってほしい」という下心が根底にあり、愛は「ただ、与えたい」という無償のモノだという説があります。
ホントかウソかは知りませんが、私はこの、漢字の成り立ちのお話がけっこう好きです。
与えてくれなくてもかまわない、何かしてあげたい、支えたい、そばにいてあげたい、そう思えたなら、それは「本当の恋」であり「本物の愛」です。
「本当の恋」ではないかもと感じたら?
あなたのほうの気持ちが冷めてきたのなら、それはもしかしたら、一方的な恋から本当の恋(=愛)へ気持ちがうつったのかもしれません。
燃えるようなエネルギッシュな感情の揺れ幅で、自分もまわりも振り回すのが「恋」なら、「愛」はもっと静かで、自然で、平穏としているものです。
長続きしたいのでしたら「恋は冷めるときが必ずくる。そのときでも一緒にいられる人と付き合ってほしい」と、お伝えしたいです。
飽きたのか愛なのか自分では判断できない、そんなときは。
極論ですが「その人と結婚するのはもちろん、彼が倒れたら介護できる?」と、自分の心に問いかけてみることです。
それにYESとためらいなく答えられるなら、それは愛だと思います。
もうひとつは、恋に恋するパターンです。
そのままの自分を愛してもらおうと思いすぎな女子にこの傾向があります。
他人と深くかかわるのに、いつも主語は「自分が自分が」「私が私が」四六時中の「わかってわかって、わかってよ、なんでわかってくれないの?」。
おしつけてばかりじゃ支えあっていけません。お互いが支えあって生きていかなければいけないのに、それではいずれ倒れてしまいます。
金八先生の漢字ネタはいいこと言っていますので、一度見返してみるのもいいかもしれませんね。
「本当の恋」をするには?
地位名誉に惑わせれない
『花より男子』、コレに「本当の恋」とはなんたるかが詰まっているのではないかと、わりと本気でこの間お友だちとわいわい盛り上がったのですが、つくしって、スペック強者のF4になびかないんですよ。
いやー……難しい……。
それをはじめに見極めるの、めっちゃ難しいよね……。
だってやっぱりスペック、見ちゃうからさああああああああああああ……というのは私です。
「馬主紹介してあげる」と言われたら、私の中でその方の呼称が「馬主」になっちゃうし、どこの馬のホネかわからない、コリドー街でナンパしてきた彼が幹事で合コンするより、「全員アナリストの合コンしない?」と言われるほうがテンションが上がります。
おいしいシャンパンで乾杯してくれたらうれしいし、困ったときに「オレの知り合いがなんとかしてくれるよ」と助け船を出されたらほれそうになります。
でも、この人たちが一生馬主かなんて誰にもわからないし、毎日シャンパンで乾杯してくれるとも限りません。
そう考えると、スペックが関係なく寄り添える人って、ものすごく貴重ですよね。