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秘密の告白で一体何が!? 大人のための極上ミステリーが日本上陸!

人は誰もが、大なり小なり秘密を抱えながら生きているもの。そこで今回は、ある秘密の告白が引き起こした事件を描いたこの春注目のサスペンス映画をご紹介します。それは……。

注目の知的ミステリー『修道士は沈黙する』!

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【映画、ときどき私】 vol. 149

ドイツの高級リゾート地として知られるハイリゲンダム。まもなく世界経済に多大な影響を与えるであろう国際的な会合が行われようとしていた。そんななか、会議前夜に開催される夕食会のゲストとして招かれていたのは、イタリア人修道士のロベルト・サルス。各国の大臣と著名人たちによる楽しい宴は過ぎていった。

会食後、サルスは天才的エコノミストであり国際通貨基金の理事を務めるダニエル・ロシェ専務理事に呼び出され、告解をしたいと打ち明けられる。ところがその翌日、ロシェは死体となって発見されるのだった。はたして、自殺か、他殺か? そして、沈黙を貫くサルスは、殺人事件の容疑者として疑いをかけられることに……。

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そこで今回は、謎と疑惑が渦巻くスリリングな世界観を見事に作り出したこちらの方に、物語の真相に迫るべく、お話を聞いてきました。その方とは……。

イタリアの鬼才ロベルト・アンドー監督!

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映画監督としてだけでなく、オペラや舞台の演出、さらには小説の執筆など、あらゆる分野で評価の高いアンドー監督ですが、本作のテーマや制作に込めた思いについて語ってもらいました。

主演のトニ・セルヴィッロさんとパリで散歩中にこの物語が生まれたそうですが、どんなことを話されましたか?

監督 トニと会って話をしたとき、実はすでに漠然としたアイディアみたいなものはあったんだ。それというのは、権力者たちと修道院という世界の外で生きている人間とのありえないような出会いについてのスリラーにしたいということ。

そんなことをトニと話しているうちにだんだんと発展していって、「じゃあ一緒にやろう」という話になったんだ。だから、その時点で主人公の修道士を彼が演じることも決まっていたよ。

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トニ・セルヴィッロさんといえばイタリアが誇る名優ですが、監督から見た魅力はどんなところですか?

監督 彼はもともと舞台で活躍していたので、映画俳優として有名になって成功を収めたのはすごく遅かったんだ。だから、最初は主役ではなく脇役だったんだけど、それが徐々に頭角を現していって、いまではイタリアの映画俳優としても舞台俳優としてもトップクラスの存在で、海外でも非常に愛されているよね。

そんな彼の魅力というのは、いかにも人生をしっかりと生きてきたような過去を感じさせる深みのある顔。「もしかしていろいろな大変な思いをしてきたかもしれない」ということを想像させるんだけど、それと同時に知性もあるし、何かを隠しているようなミステリアスな印象も観客に抱かせることができるんだ。そういう意味でも、この修道士という役は非常にぴったりだったし、沈黙を通じて語ることができる稀有な役者だとも思っているよ。

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今回、本作の重要なカギをにぎっているのは、日本ではあまりなじみのない「告解」という言葉。キリスト教のいくつかの教派において、罪のゆるしを得るのに必要な儀礼のことを指しています。

では、この題材にしようと思った理由は何ですか?

監督 いまの時代というのは、SNSにしてもそうだけど、すべてがオープンにされている時代だと思うんだ。そういう意味でも “秘密の領域” というのがなくなってきていると感じていたから、告解ということを考えたんだよ。

この場合、権力者が秘密を暴かれない唯一のシチュエーションであり、プライバシーが守られる場所。しかも、修道士と権力者というのは、こういう機会がなければ出会う可能性がないんじゃないかな。

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脚本を作り上げるうえで、こだわった描写はありますか?

監督 やはり一番気をつけたのは、ストーリーにおけるスリラーとリアリズムのバランス。つまり、「リアリスティックでありながらイマジネーションな要素が徐々に出ていく」というバランスにすごく気をつけていたんだよ。

監督が思う告解の持つ意味とは?

監督 本来、告解というのは教会と信者との絆。実際には信者がいろいろな罪を神父に打ち明けるんだけれど、神父はその秘密を絶対に守らなければいけないし、そのうえで許しを与えるかどうかというのを決めるんだ。

この映画のなかでは、国際通貨基金のトップであるロシェも許しを得たいと思って告解をするわけで、それがされるかどうかというところが作品のキーポイントでもあるんだよ。

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ちなみに、監督も告解をされたことはありますか?

監督 僕自身もカトリックの洗礼を受けたので、子供の頃は何年間か告解をしていたことはあるよ。なぜなら、キリスト教の信者は若い頃から大人になっても、日曜日になるとその週の罪を告解することが慣例になっているからなんだ。

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