今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
離見の見
今週のかに座は、「おもて」と「うら」、見えるものと見えないものとが互いに交錯していくような星回り。
やまとことばにおいては、「おもて」という言葉はときに能や雅楽の面(仮面)を意味し、ときにまた、顔ないし素顔を意味しますが、この「おもて」から派生して出てきたものに「おもざし」という言葉があります。
「まなざし」もまた「おもざし」とよく似ているように見えますが、この二つの語にはひとつ注目すべき違いが。それは「おもざし(顔の志向、顔つき)」がおのずから、それ自身のうちに双方向的に交錯する志向性を含むのに対して、「まなざし」には一方向的な志向性以上のものが見られないのです。
真にすぐれた演者は、つねにみずからの姿かたちを、後方ないし背中の方からも見ることができなければならない。あなたもまた、そんな繊細かつ洗練された幽玄な「おもざし」を宿していくことができるかもしれません。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
魂への気づかいを
今週のしし座は、難しい挑戦を自身に課していくような星回り。
「チェルノブイリの無口の人と卵食ふ」(攝津幸彦)は1995年に詠まれた句。これは明らかに1947年に広島を訪れた西東三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」という句を踏まえたものですが、チェルノブイリの事故も広島の惨劇の繰り返しであり、この句は恒久的な響きをもつ人類への警鐘のようにさえ思えてきます。
しかし、それでも人は「卵食ふ」のであり、いかなる苦しみや悲しみのさなかにあったとしても、私たちは自然な本能的な行為としての生を選択し続けていく。そして、生を求めてたくさんの人びとの口が開かれるところを想像してみるだに、この句は力強い人間賛歌でもあったのだということが、より強く感じられてくるのではないでしょうか。
あなたもまた、警鐘を鳴らすことと誰かを勇気づけることをいかにして両立させていけるかが一つのテーマとして問われてくるように思います。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
こぼれ落ちたものを掬う
今週のおとめ座は、生臭い娑婆の臭いが消えていき、懐かしいひとの匂いが残っていくような星回り。
1985年に刊行され直木賞を受賞した、森田誠吾さんの『魚河岸ものがたり』の次のような一節があります。「いい柄だ、おかみさんの目が細くなる。柄がいいだけではない。値段がまた気に入っている。いやしい、と言われるかもしれないが、値段のことを考えると、せいせいしてくる」
難解な言葉はひとつも使わず、表現に特別凝ったところもない平らな文章なのですが、橋のたもとで味のある老婆がひょいとこちらを振り返って目が合った時のような、心地よい気が流れているのです。
心ならずも魚河岸の町に身をひそめた青年と、まちの人々との人間模様を情感こまやかに描き出した同作品には、他にも「面変り(おもがわり)」とか、「折々の奇縁」「あべこべ」「商いは牛のよだれ」といった具合に、心優しい言葉が時おり顔を出し、懐かしい気持ちにさせてくれます。あなたもまた、そんな何気ない記憶を取り戻していくなかで心にやさしい風が吹いていくはず。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
交替幻想
今週のてんびん座は、得体の知れない自分がのそりのそりと歩きだしていくような星回り。
鮟鱇(あんこう)は愛嬌のある大きな頭に、大きな口をもつ深海魚。中でも提灯のような触覚をぶらさげたチョウチンアンコウは、いかにも百鬼夜行の一群からぬっと脱け出してきたような風貌です。「出刃を呑むぞ鮟鱇は笑ひけり」(阿波野青畝)の句では、そんな鮟鱇が出刃を吞んでやるぞと凄んで笑ったとのだという。
もちろん、これは作者のある種の幻想だろうとは思いますが、包丁をもって相対した際、ナマの鮟鱇に一寸怯んでしまった心が見せた幻影と考えると納得がいく気がします。
逆に言えば、そうまでして鮟鱇を食べ尽くした後の自分というのは、食べる前とは別人のように―それこそ妖怪に近い存在になっているのではないでしょうか。あなたもまた、あと2カ月もすれば全く予想もしていない姿になっているかも知れない自分自身の片鱗を、感じていくことができるかも。