今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
奪回それは魂の自覚
今週のさそり座は、権威を奪回せんと爆弾を仕込んでいくような星回り。
それはまるで、中華料理店のカウンターで鉛筆をなめて千円札に自分の名前を書き込む、一人の東北出身の女中のよう。この「女中」は、寺山修司が「落書学」というエッセイの中で思い描いてみせた一つの人物画ですが、それは寺山自身の分身だったのでしょう。
彼女にとって自分の名前は一行の詩なのであり、そのお札の一つ一つが、疎外され、無名であることを余儀なくさせられている境遇を転覆するために仕込んだ、爆弾に他ならないのかもしれません。
グローバル資本の暗い本質が徐々に露呈し始めているいま、自分が自分であることを取り返すための署名は、いわば<詩的所有>という表現行為であり、コートを着る前に腰に香水をひとふりするような大人の嗜みの一つと言えるのでは。あなたも自分なりのやり方で世間の関わり方やそのひっくり返し方を、行為を通じて具現化していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
火鉢と雪解
今週のいて座は、静かに雪を溶かしていく「火鉢」のようになっていかんとする星回り。
「一笑してことは済みたる火鉢かな」の作者・朴魯植は、朝鮮半島の人としては最初の俳人とうたわれ、昭和8年に37歳で肺結核で病没した人。朝鮮半島における俳句活動が本格化するのは1910年以降ですが、この時代に日本人から俳句を教わり日本語で句を詠んでいた作者は、現地の日本人から受ける差別だけでなく、さぞかし力を込めて同胞から「親日」と呼ばれていたことでしょう。
しかし「反日」にしろ「親日」にしろ、所詮それは世界が近代化へ向かった歴史の過程で強国による力の犠牲になった自分たちへのやるせなさへの裏返しであり、「一笑してことは済みたる」と詠んだ作者はそのことを身に沁みて分かっていたのではないでしょうか。
作者は一度も来日しないまま、俳句活動に専心した12年間で約1万の句を詠み、「朝鮮の子規」と称されたほどの実力者に。あなたも偉大な先人としての朴魯植を念頭に置きつつ、簡単ではない方法によって容易くはない試みに邁進していくべし。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
身を委ねるべき運命の顔
今週のやぎ座は、劉慈欣さんのSF短編「月の光」の冒頭の一節のごとし。
SF短編「月の光」とは、普段は数百万の電灯やイルミネーションに溢れて月の光など見たこともなかった市民らが、中秋節に合わせ、ふと思ったって満月を愉しめるよう街灯を消してほしいとweb上で著名を集めて実現した一夜の話。
「黙示録的なムードが独自の美を醸し出し、万物の移ろいと、あらゆる重荷からの解放を体現しているように見える。運命の抱擁に身をゆだねて横たわるだけで、終末の平穏を楽しむことができる。それこそが、彼に必要なものだった。」(大森望訳)
作者はあるインタビューの中で自身のSF観の根底に、人類が生存を続けていること自体が不可思議だという思いがあると述べていました。考えてみれば、人類だけでなく、他ならぬ私が生存し続けていることの不可思議、それもまた運命の抱擁なのではないでしょうか。あなたもまた、自分の身に起こっているそんな不可思議を楽しんでいく姿勢を忘れないようにしていきたいところです。