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[2/8〜2/14の運勢]2月2週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

身体の邪魔をしなさんな

今週のかに座は、過剰なエネルギーを発散させるべく、とにかく身体をほぐしていこうとするような星回り。

情報の流れがますますハイパーになっていく現代社会。私たちは日々普通に生活しているだけでも、どんどんエネルギーを発散させていく身体の在り方が知らず知らずのうちに求められている訳で、その一つの方法は消費による発散ですが、買い物や飲酒などの消費による発散ばかりに頼っていると、どこまでも情報に流され、混乱していくだけで、自由に泳げるようにはなりません。

かつてであれば、超能力の獲得だとか超人的な自分を作りあげるといった方向に魅力を感じる人も多かったように思うのですが、現代ではその人の身体を正しい方向に矯正するというのではなく、その人が自然にあれるよう身体に刻まれた緊張を解いていくという方向にこそ、発散的な身体技法の活路が見出されるのではないでしょうか。

つまり無理をして自分以上にならないこと、また身体のエネルギーのおもむくままにして、できるだけその邪魔をしないということです。今週のあなたもまた、そうした力みのとれた素直な身体に近づけるべく、できるだけ身体のわがままを聞き届けてあげるくらいでちょうどいいでしょう。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

治癒的繋がり

今週のしし座は、何かのきっかけで一人称がスッと広がっていくような星回り。

世の中の悩みというのは大きく2種類あって、自分でどうにかできる悩みと、自分ではどうすることもできない悩みが存在します。例えばTwitterで偶然見てしまうと嫌な気持ちになるような物事を見ないようにするとか、自分の認知の仕方や選択次第で変えられるものは前者に入り、逆に言えばその他ぜんぶは後者に入るわけです。

人ひとりには手に余るどうしようもない悩みは、そこにコミットしようとするのではなくて、リセットしていく他ないはず。けれど、「春寒の無礼を別の人が詫びる」(中山奈々)の作者は、その「無礼」をあえて詫びています。いや、あえてなどといった堅苦しくって恩着せがましい前置きをすっ飛ばして、「なんかごめんね!」とおそらく本能で詫びているのです。

もちろん「春寒」の原因が、中山奈々という名前を持った個体のせいではないことは百も承知なのですが、どこかぼわんと自己の輪郭がひろがって、あたりの空気や大地や地球にシュンカン的になりかわってしまったのだとも言えます。あなたもまた、これまで繋がりを持っていなかったような誰か何かと、そんな風に瞬時に繋がっていくことがあるかも知れません。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

生活をデザインする

今週のおとめ座は、ひっそりと跳ねるベニヒワの羽音のような生活のリズムを取り戻していくべし。

それはまるで、ウィリアム・バトラー・イェイツの「イニスフリー湖の島」という詩のよう。「さあ、立ちあがって行こう、イニスフリーに行こう、ちいさな小屋をあの島に建てよう、粘土と小枝を使って。」(須賀敦子訳)という冒頭からすでに、まだ知らなかった人生の部分に足を踏み入れようとしている者の感慨を感じますが、作者のはこれを舗装されたロンドンの街路にたたずんで、つくづく故郷を想いながら書いていたのでした。

つまり、周囲に流されるのではなく、今度こそ自分らしい生活に戻るぞ、とそんな詩人の決意が書かせた詩行なのでしょう。「それから、安らぎをすこし手に入れよう、安らぎはゆっくりと降りそそぐから、朝の時間の紗をとおしてコロオギが歌うそのあたりまで 真夜中がきらめきそのものになるあたり、正午はむらさきのほむら、そして夕ぐれはベニヒワの羽ばたきにすべてがいっぱいになる。」

今週のあなたもまた、どんなにささやかでも、この詩のような「これ以外にない」といった深い感じをみずからの日常生活に取り戻していきたいところです。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

円環的調和

今週のてんびん座は、ちょっとしたことに驚き、心弾ませる子どもの心を取り戻していくような星回り。

「雪解川でんぐり返るつんのめる」(山口隆右)の舞台は、おそらく雪国の大河。春になって日差しが暖かくなり、北風にかわって東から吹く風に変わると、それが雪解(ゆきどけ)をさらに促していきます。「でんぐり返る」も「つんのめる」も慌て者の姿態ですが、ここでは水の流れの勢いを描写しているのでしょう。

ただそれは「我先に、先を競って」というよりも、あまりに喜びの大きさが先行して、体がついていかずに足元がもつれて、といったニュアンスのように感じられます。つまり慌てているように見えた姿態は、やはりそれを見つめる人間の側の心理に帰せられるのだということ。作者はどこかそんなまなざしの反転を早春の風物として楽しみ、一緒になって心弾ませているようです。

きっと自然と人間、運命と自由意志のバランスが今よりずっと前者に傾いていた時代においては、そうした楽しみこそが生活の苦しみを救ってくれる何よりの処方箋であり生活人としての趣味だったのでは。あなたもまた、いつの間にか忘れていたこの世の純粋な楽しみ方を思い出していくことがテーマとなっていくはず。

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