今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
すぽぽぽぽーん
今週のさそり座は、惰性の罠から脱け出すべく、捨てるべきものを見定めていくような星回り。
それはまるで、世阿弥の「住する所なきを、まず花と知るべし」のよう。「住する所なき」とは住居のことではなく、「そこに留まり続けることなく」の意。世阿弥が完成させたと言われる能は現在からみれば伝統芸術ですが、世阿弥が生きた室町時代においては目まぐるしく変わっていく途中の「現在の芸術」でした。
すなわち、当時の能は珍しさが求められ、目新しさが観客の関心の的となり、毎回公演ごとに変化していくことこそが芸術の価値。その意味で冒頭の言葉は、自己模倣のうちに同じことを繰り返す惰性の人生や、その惰性の罠から脱け出していくことが「花」=芸術の本質であると言っている訳です。裏切ってでも、変化を求め、ファンを新しい次元へ連れていくのが芸術家の役目なのだと、世阿弥は考えたのです。
今週のあなたのテーマもまた、これまでの自分のままでやっていこうとする「住する」の精神をどこかで捨て、卒業していくということなのだと言えます。世阿弥の言葉は厳しいですが、今こそ耳を傾けていきたいところ。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
まずはちょっと外をのぞいてみる
今週のいて座は、待つことの楽しさを知っていくような星回り。
「羽もなく鰭もなく春を待つてをり」(藤井あかり)という句で詠まれているのは、おそらくわたしの背には羽も魚の鰭(ひれ)もなく、別の世界へ行く力もない、そのためただ春の到来を待つしかない、という心情。しかし作者の中には、かつて鳥や魚になった記憶やイメージが残っていて、それだけに今はそれが不可能であることをまざまざと突きつけられているようにも感じられます。
おそらくこれは松尾芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は涙」を意識して詠まれた句なのではないでしょうか。ここでは過ぎ去る春とともに旅立つ我との別れを惜しむように、空で啼く鳥となり、水中で涙する魚となるといったように、互いが棲む世界を自由自在に相移相入していく感覚が呼び覚まされていますが、掲句ではそれを空間的にではなく、時間のサイクルの中で実現しようとしているのかも知れません。
つまり鳥や魚に今すぐはなれなくても、やがてこの場所に春が巡ってくれば、草木が芽吹き、鳥が訪れ、川にも魚が戻ってくることを作者は知っているのです。あなたもまた、下手に動き回るのではなくただじっと待つことで感じられる変化の豊かさに目を配ってみるといいでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
新たな富のありか
今週のやぎ座は、行き当たりばったりな道行きのなかで、未来への希望を見出して行こうとするような星回り。
歴史学者・村井章介さんの『世界史の中の戦国日本』の中で、宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に向かっているとき、アジア人にかなり絶望していたことが手紙からわかったという話が出てきます。彼らは自前の船で航海していた訳ではなく、中国人の船に乗っかって移動していたのですが、彼らの行動はザビエルたちにとって迷信深い愚かな行動としか映らなかったのでしょう。
そんな中、マラッカで初めて会ったまともなアジア人がアンジローという日本人。彼はとても好奇心が強く勤勉で、ポルトガル語も8カ月あまりで覚えてしまうなどの才能に優れていたため、ザビエルは日本で布教することを思い立ち、そこに希望を託したのです。これは旅先で出会った人と仲良くなって、その人の母国へ連れていってもらおうという、典型的なパックパッカーの行動そのものですね。
ただ、実はアンジローは薩摩で殺人を犯して海外へ逃げてきた人であったなど、かなり危ういバランスの上で成り立った出逢いであり、たまたまよい方向へ転がったのだと言われています。あなたも、新たな財源やその可能性を見出すべく、いつもなら踏み込んでいかない領域へと足を延ばしていくことがテーマとなっていくでしょう。