今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
句にぶんなぐられて気分よし
今週のさそり座は、出会いによって人生が広がり、また深まっていくような絶景感覚を得ていくような星回り。
梅が咲いているその庭に、青鮫が来ている。青鮫と白梅。「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」(金子兜太)は、一句のなかにあり得ないような取り合わせが為され、まるでシュールレアリスムの絵画のようですが、『金子兜太自選自解99句』によれば「春の到来を大いに喜んでいる作」とのこと。
そこに嘘はないのでしょう。ただ、あえて問うならば、喜んでいるのは“誰”なのか?ということ。作者の出征したトラック島での戦争体験を踏まえれば、「庭に来ている青鮫」とは南の海から生きて帰れなかった戦友たちの霊でもあり、その意味で掲句はそうした者たちへの鎮魂歌であり、自身のいのちを言祝ぐ歌でもあったのでしょう。
青い空気につつまれた庭先を回遊する青鮫とは、作者にとっていのちそのものであり、白梅と青鮫との出会いこそが、そのいのちが深まる決定的な場面としての絶景に他ならなかったのです。あなたもまた、そんな“出会いの絶景”ということを感じることができるかも知れません。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
適度に無駄のある自然
今週のいて座は、改めて生活に美しさを結びつけていこうとするような星回り。
日常の道具の美しさを指摘した最初の人物である柳宗悦は、「人間の真価はその日常の暮しの中に最も正直に示される」という考えから民衆的工芸を「民藝」と名付けましたが、その本質について『手仕事の日本』の中で次のように説明しています。
「不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場からする嘆きであって、自然の立場に帰って」みると、「用途に適うということは必然の要求に応じる」ことであり、「材料の性質に制約せられるとは、自然の贈物に任せきる」ということ。つまり「人間からすると不自由」でも「自然からすると一番当然な道を歩く」ことを意味し、そこには人間を越えた力としての「他力の美しさ」が宿るのだ、と。
人間の身勝手やわがままが押し進められ、そのしっぺ返しを受けている現代社会において、自力で立つ美術品ではなくこうした他力という視点から実用品を捉え直し、実用に美しさを交えていくという考え方はまさに時代を先取りしたものだったと言えるかも知れません。あなたもコスパや効率重視の考え方をどれだけ生活のなかで、ひっくり返していけるかどうかが問われていくでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
自分自身を捧げているか
今週のやぎ座は、独自の個性を開発するべくあえて我を埋没させていくような星回り。
「天に雲雀人間海にあそぶ日ぞ」(小林一茶)は、作者が33歳のときの句。各地の門人や知人を訪ねて回る挨拶と修行の旅にもようやく慣れてきた頃合いで、「天」や「人間」という堅い言葉遣いも、その対比も含めて、ようやく俳諧の道で食べていけるようになったことへの気負いや、年齢的な若さが現れているように思います。
ここで作者はアカデミックな振る舞いを俳句において実践してみせている訳ですが、どうにもそれがなまぐさい。おそらくそれは観念的になり切れないどころか、彼自身、かしこまっているようで、実はどうしたって百姓としての地肌本意になってしまっているのでしょう。
ある意味で、自分の本質に対して開き直った上で、ないものねだりをしているのだとも言えますが、これも彼の人一倍つよい好奇心と精力の賜物であり、だからこそ、強靭な個性を有した俳句を生涯に2万句近くも詠むことができたのかも知れません。あなたも、あえて貪欲に過去の叡智の積み重ねに学んでいくなかで自らの個性を磨いていくべし。