今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
もう一つの夢を見る
今週のさそり座は、思考がひとつの夢へと変わっていくような星回り。
ひとは夢の中でなにものかを見、なにごとかを聞く。こうした夢見の幻覚、あるいは知覚は、どこから到来するのか。例えば、ベルクソンは二つの段階からこの問いに答えています。第一に、ひとは睡眠中でも視覚や聴覚や触覚から逃れられず、傍らで焚火を起こせば夢の中でもそれとなく明るい世界を体験したり、暖かさを感じたりする。
そして第二の論点は、こうした感覚のかけらたちを意味づけ、かたちを与え、夢の内容として紡がれるのは、いったい何によっているのかということ。いったい何が「未決定な素材にその決定を刻み込むことになる」のか。それは「回想」であると、ベルグソンは述べています。つまり、夢とうつつは、記憶と回想を通じて混じり合うものなのだ、と。
これは例えば、「いのち」の在り様について問い続けたベルグソン哲学の主要な概念である「生の飛躍」とは、いのちが見る夢に他ならず、「開かれた社会」とは、迫りくる悪夢に対抗するための、もう一つの夢であった、ということではないでしょうか。あなたもまた、目の前の現実をそれまでと異なる角度から捉えなおすための「回想」を積極的に行っていきたいところです。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
道の途上にいる自覚
今週のいて座は、現代の日本において誰よりも「冷徹」にあろうとしていくような星回り。
「兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り」(西東三鬼)という句は、昭和12年(1936)頃の句。満州事変に端を発した戦禍は日中戦争にとどまらず、太平洋戦争へと拡大の一途をたどっていました。
作者は当時37歳。戦争へとひた走っていた軍部の考えに迎合するような俳句がたくさん生まれることを予想し、危惧した結果、あえて季語を用いずに「冷徹に、戦争の本質を見極めて」俳句を作ろうと決意したのです。そして、たとえ自分は戦場におらずとも、「私たちの肉体に浸透する「戦争」をおのれの声として発すればよい」と考え、実践したのです。
特に目をひくのは「まつ黒い」という表現。確かに事実として汽車や煙は黒かったでしょう。けれど、本当に「まつ黒」だったのは、汽車に詰め込まれた兵士のこころであり、それは自分たちの行先で待ち構えている死のイメージに他ならなかったのでは。あなたも、社会の今をより生々しく感じ取っていくためのドライブとして、過去の歴史や未来のビジョンに触れていくことになりそうです。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
生きた言葉の再獲得へ
今週のやぎ座は、リアリティの決定的な受け渡しを経験しようとするような星回り。
日本の植民地支配下の朝鮮で、「国語」と「唱歌」に秀でた「利発な皇国少年」として育ってしまった金時鐘(キムシジョン)は、日本の敗戦時の自分の姿を「朝鮮文字ではアイウエオの「ア」も書けない私が、呆然自失のうちに朝鮮人へ押し返されていた。私は敗れ去った「日本国」からさえ、おいてけぼりを食わねばならなかった正体不明の若者だった。」(『在日のはざまで』)と記しています。
言語は、人間の思考そのものをつかさどるもの。彼の場合、幼少期と少年期において無防備に受け入れてしまった「支配者の言語」である日本語が、母語でも母国語でもない一時的なものとして脆くも崩れ去ってしまった訳で、その際にぽっかりと精神にあいた虚無は、いかんともしがたい絶望として体験されたのでしょう。
彼が朝鮮人として立ち返るきっかけとなったのが、戦争中は仕事にもつかず、日がな一日突堤の岩場で釣り糸を垂れているだけだった父親が、朝鮮語で歌ってくれた「クレメンタインの歌」だったのだそうです。あなたも、ただ小器用に言葉を操るだけに終わるのではなく、自身の身の内の空疎や絶望をどうしたら埋め得るかという難題に挑んでいくべし。