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[9/6〜9/12の運勢]9月2週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

カルチャー

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

自然体はどこにあるか?

今週のかに座は、外部からやって来た意味を受けて、ハッと視点が開いていくような星回り。

鎌倉時代の曹洞宗の開祖・道元は、「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」(『正法眼蔵』)と述べています。「万法」とは「一切の存在」、「修証」は「修めてさとること」。すなわち、自分から求めて意味を考え出し、世界を捉えようとすることで、人間は迷いの世界に入っていくのだ、と。

これは蒸し暑さを感じて夜中に眠れなくなった人が、涼をとれるものを探したり、インターネットで安眠できる方法を検索したり、いつからどうして眠れなくなったのかと自問自答をくりかえすことに、どこか似ている。湧き上がってくる思いを必死で言語化すればするほど、訳が分からず戸惑いが深くなる。一方で、道元は先の一節に続けて「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」とも述べています。

一切の存在のほうから、何かが自己のもとへと届けられる。それがさとりなのだと。先の喩えで言えば、蒸し暑ければ、四の五言わず、ただ窓をあけて夜風にあたればいい。物事のありのままの自然な所作が、最後にたどりつく境地なのだと。あなたも、知識の深まりとともに忘れてしまっていたことを不意に思い出していくことになるかも知れません。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

新たな文脈に繋がるとき

今週のしし座は、何でもないような感覚や気分の変化をこそ、丁寧に拾い上げていくような星回り。

「洟かんで耳鼻相通ず今朝の秋」(飯田蛇笏)は、ある秋の日の朝、「洟(はな)」をかんだら耳と花とが通じたと感じたというだけの一句。もちろん、生理的にいえば実際に耳と鼻は通じている訳ですが、この句に詠まれているのは、通常のことばでは説明しにくい内的な感覚から来たものでしょう。

これまでは意識の中枢に近い鼻の奥のどこかがくぐもって、呼吸も浅く、くぐもっていたところが、洟をかんだ拍子に、空気が耳の穴を通じて外まで突き抜け、意識が急に広がって、スンとした。その清々しくも、どこかちょっとさみしいような微妙な感覚が、かろうじて「今朝の秋」という季節感の移り変わりを表わす言葉をよすがに、かろうじて身体にとどまったのだとも言えるかも知れません。

「こんな些細なことを歌にしてどうするんだ」と思う人もいるでしょうけれど、こうした感覚の変化と季節の移り変わりの間にただよう瞑想的な雰囲気こそが、むしろ俳句の真骨頂であるように思います。あなたもまた、そうした「スン」とするような体感の中に新たな希望を見出していくことになるはず。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

地味だけれど大切な癖の技化未来に戻る

今週のおとめ座は、慎重さの裏返しとしての大胆さを発揮していくような星回り。

室町時代の庶民の小歌などをあつめた『閑吟集』という歌集に、「何せうぞくしんで/一期(いちご)は夢よ/ただ狂へ(何をしようというのだ、そんなにまじめくさって、一生は夢、ただ遊び狂えばいいのだ)」という有名な歌があります。

この歌の根底にあるのは、「一期は夢」、つまり一生は「どうせ」はかない夢に過ぎない、という思いですが、それが「ただ狂へ」という行動方針へとつながっていくのです。そしてここで注目したいのは、その間には書かれていない「いっそ」という認識による転換が潜んでいるということ。

「いっそ」とは、「より一層」の変化した語か、あれこれと思案した結果、それらを廃棄して、まったく逆の方向に思い切って舵を切る、というニュアンスが込められていますが、「どうせダメになる、ならばいっそ壊してやれ」といったように、先取りされた否定的結論を、現在の時点でよりいっそう加速させ、あばき立ててやるといった、大胆で興味ぶかい批評精神の現われでもあるのでは。あなたも、そうした思い切った転換を自分に仕掛けていくことがテーマとなっていくでしょう。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

目線をすこし遠くにやろう

今週のてんびん座は、言葉に実感が追いついていくような星回り。

「コットンのねむりの中でおさなごがやさしく握る虹の先っぽ」(天道なお)は、「おさなご」の一語にしみじみとした実感が込められている一首。「おさなご」は誰もが知っている言葉ですが、実際のところ、大方の人はそのしみじみとした実感を記憶の彼方に押し流してしまい、みずからの日常には実在していないのではないでしょうか。

「コットンのねむり」のような、柔らかで触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細な存在が、この世に生れてくる以前に見ていた夢の「先っぽ」をつかまえてそこに横たわっている。その、はじめて子をもった時のような、記念碑的な瞬間においてやっと「おさなご」という言葉はその本来の言霊をありありと宿してみせるのです。

どこか西行法師の「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌を思い出させますが、今の社会ではこうした一見弱くはかない存在は無視されたり、軽視されがちな傾向にあるようにも思います。あなたもまた、いつの間にか忘れていた大事な記憶や実感を取り戻していくことができるかも知れません。

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