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[11/8〜11/14の運勢]11月1週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

懺悔とトーテム

今週のかに座は、そういえばと「思い当る節」が、不意に提示されていくような星回り。

「わが死後に無花果を食ふ男ゐて」(下村槐太)を一読して、「わが死後に」というのは「自分が死んだあとのこの世に」、という意味なのかと思っていたら、どうも「死後」というのは「死後の世界に」という意味であるらしい。そうすると、悪魔か何かから自分の死後を見せられているようで、じつに変な句である。

「無花果を食ふ男」とは、あの世での自分の暮らしぶりを捉えた一光景なのか。それとも、新たに生まれ変わった自分の姿なのか。「無花果」は古来より女性の性的なシンボルとされ、ルネサンス期には禁断の果実として多くの絵画作品や天井画に描かれてきた。死後に自分がタブーを破っている(かもしれない)という観念は、すでにどこかでタブーを破ってしまっているか、少なくともその兆しがある、という観念に非常に近い。

つまり、ある種の告白や懺悔の句とも解釈できるが、56歳で病死するまで生涯にわたって不遇であり清貧に甘んじる生活であった作者の人生を踏まえると、妙に余韻が残る句へと変貌する。あなたも、自覚していなかった他者への影響や関与について気付かされていくことが出てくるかも知れない。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

失礼ですが、どなたですか?

今週のしし座は、「トワイライト・シーン」に、いっとき自分をあずけていくような星回り。

ほんとうに劇的な変化とは、むしろ弱弱しい微妙な変化にこそ潜み、稲垣足穂が『一千一秒物語』で描写した、影がはじけたとか、シガレットの煙が逃げたとか、「ちょっとしたこと」のうちに宿るもの。

松岡正剛はそうした何かが起こりそうな気配がおこる、わずかなトランジットの場面のことを「トワイライト・シーン」と呼び、それを手っ取り早くつくってくれるのが夕方だったのだと指摘した(『フラジャイル』)。

夕暮れどきが「たそがれどき(誰そ彼どき)」と表現されてきたのも、人びとが誰それという指定からも、どこどこという目的のある区域からも離れ、ただ何ものでもないanybodyに溶けだし、「誰ですかあなたは?(who are you?)」と尋ねられねば分からない状態へと自然と変わってしまう刻限だったからで、そこに身をあずけていくとは、そのまま「あちら」と「こちら」を繋げてしまうことをいうのである。あなたも、こうしたおぼつかない「あわい」の感覚にこそ身を添わしていきたいところ。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

質素と叡智の深い繋がり

今週のおとめ座は、質素さに立ち返っていこうとするような星回り。

「ストーヴの小(ち)さき煙突小書斎」(高浜虚子)は、作者が76歳のころの作。小ぶりな書斎に、小型のストーブが設えてある。煙突の造作もまた小さい。これは作者自身のことというより、ある種の小説的な材料を取り扱った句なのでしょう。そこでどんな仕事がなされているのか、書斎の主はどんな人で、どんな風に暮らしているのか。すべては読者の想像に委ねられています。

ただ、良寛さんの遺した「行じ難きをよく行じ忍び難きをよく忍ぶ」という言葉のように、質素な生活のなかでどんな不便や窮乏に負けない忍耐力を身につけることこそが真の修行であり、そうした質素さこそが本当の意味での叡智を含んだインスピレーションの源にもなっていくということを、作者はどこかで分かっていたのではないでしょうか。

その意味で、掲句は作者の理想であり、このようにありたいと願った境地をさりげなく示そうとしたのかも知れません。あなたもまた、忘れていけない美学や流儀を大切にしていくべし。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

エゴをぬいで、それで?

今週のてんびん座は、自分なりの創意工夫の方向性をつかんでいこうとするような星回り。

料理家の土井善晴さんは「おいしいもの」を人間が作るという考え方を否定し、「おいしさ」とはやって来るものであり、「ご褒美」なのであり、料理する人間とは、素材と料理の媒介に過ぎず、自然に沿いながらそれを整えることしかできないのだと語っています。

つまり、「こんなおいしいものを作ったのは私だ」というのは思い上がりであり、むしろお料理を置いたらそこに人間が残ったらいけないのであり、おいしさや美しさを求めてはいけないのだと。そうではなく、ひたすら淡々と仕事をしていくと、結果的にそこに「おいしさ」や「美しさ」が現れたり、宿ったりしていくのだと言うのです。

あなたもまた、何に関わるにせよ「自分が創る」のだという姿勢とは真逆の、淡々と整え、媒介し、「自分の業をなくす」姿勢を大切にしてみるといいでしょう。

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