isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
役に立たないよう頑張る
今週のおひつじ座は、自分なりの「アナキズム」を生きようとしていくような星回り。
「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所には、また無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」は、柳田國男が『遠野物語』の冒頭に書いた一節。これは明治の末になっても、平地民にとって自分たちとはまるで異質な存在である「山人」たちが、鬼や天狗、山男、山姥などに形を変えて、国家の支配から免れながら「物深き所」で非国家的空間を形成し続けていたということを裏付けているように思います。
つまり、山はつねに国家に抗う「まつろわぬ民」の住処であり、そうした民話は柳田にとって架空のおとぎ話というより、現実の向こう側へと突き抜けていくためのリアルな手がかりだったのです。
柳田は、長らく狩猟や焼畑で生計を立ててきた村を訪れた際に、人々が富を平等に分配していることに感動し、奇跡的なユートピアであると感じたようです。それは、自分たちのコミュニティが階層的で抑圧的な場所にならないよう、あえて平地と真逆であろうとした結果でした。あなたも、これまで当たり前のように生きてきた現実の苦しさや抑圧を、解消していけるかがテーマとなっていくでしょう。
今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
煩悩はどこへ行った?
今週のおうし座は、煩悩を断ち切ろうとするより、あえてその粋を受け入れ切っていくような星回り。
大晦日の夜に、煩悩と同じ数とされる百八つの鐘を撞きだすことで、その鐘の音を聞くものは煩悩を断ちきり、新年には仏心を呼び起こすことができる、とされていますが、それは裏を返せば、それだけの悩みに溺れ、それをやっとくぐり抜けて初めて悟りというものがあるということでもあります。
「百八のかねて迷ひや闇のむめ」の作者・宝井其角はそんな除夜の鐘を聞きながら、ふと女のことが思い出され、悩ましくてたまらなくなったのでしょう。それはちょうど匂いばかりで目に見えない闇の梅に迷うようなものよ、と。あえてそこに浸ってみせたのでは。
「かねて」という箇所は、「鐘で」と「兼ねて」の掛け言葉になっており、後者には「前もって」「以前から」という意味があります。つまり作者はここで、兼ねてよりわが身に宿ってはうずいてきた百八の煩悩が闇に溶け込み、それが梅の香りに変じて薫ってきたという得も言われぬ体験について、それとなくほのめかしているのです。あなたも、これまでの経験が巡り巡って別のものへと不意に転換していくプロセスを体験していくことになるでしょう。
今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
体を垂直に突き抜けた先にあるもの
今週のふたご座は、積み上げた椅子のてっぺんに逆立ちしていくような星回り。
野球に必要なものと言えば、まず選手の頭上に広がっている無辺際の空と、選手たちが踏みしめることのできる確かな地面。そこに輝く太陽があってもなくても構わない。世界を分かつ天と地の隙間さえそこにあれば、ちっぽけな存在にすぎない選手たちが、それでも人間に可能な最高の身体表現を目指してくれる。
ただ、小川洋子の短編小説『曲芸と野球』という物語においては、河川敷で野球に打ち込むひとりの少年が最高の活躍をみせるのに必要だったのは、水門小屋の屋根の上で逆立ちを練習している女性曲芸師の存在でした。少年が出番を待つあいだ眺めている曲芸師は、四個の椅子を積み重ねたてっぺんに逆立ちして、彼女もまた少年の試合をじっと観戦していたのです。
「両足が屋根を離れる瞬間、つまり身体が宙に浮き、椅子の塔と一体化する直前が、僕は一番好きだ。」「打球の音も僕たちの歓声も犬の鳴き声も届かない瞬間に、曲芸師は吸い込まれている。ずっとそのままならいいのに、と僕は思う。」あなたもまた、もし自分がてっぺんに逆立ちするならどんな場所で、誰のためにそうするのか、考えてみるといいでしょう。