今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
獣の涙
今週のさそり座は、胸の奥の深いところから、何かがやっと流れ出していくような星回り。
「枯原の蛇口ひねれば生きてをり」(髙柳克弘)の舞台は、どこかの公園だろうか。草木が枯れ果ててひっそりとした冬の野に、忽然と水場があらわれ、てっきりこちらも枯れているものと思っていた蛇口から、予想に反して水が出てきた。考えてみれば当たり前の話のように感じられますが、作者はそれをあえて「生きてをり」と詠んでみせたわけです。
これは、作者が「生きてをり」と書くことによって生の実感を得ているということに他ならず、その意味で、掲句は少なくとも作者にとって単なることば遊びなどではなく、さりげなくはあるものの、文字通り命がけでのぞむべき儀式に近いと言えるのではないでしょうか。
そして蛇口から「ちょろちょろ」であれ「じょぼじょぼ」であれ、音を立てて出てきたものとは、おそらく読み手にとっての命がいまにも動き出す際のイメージであり、それはやがていかなる形式であれ必ずある種の表現となって発されていくものの源泉ともなるはず。あなたもまた、そうした源泉から改めて最初のいのちの1滴を改めてひねり出していくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
エレベーターもいつかは止まる
今週のいて座は、「地に足をつけていく」ということを、自分なりに徹底していこうとするような星回り。
恩田陸のファンタジー小説『上と外』では、主人公の日本人兄妹がヘリコプターから放り出されて密林に落ち、視界ゼロの緑の世界、「上」を失った世界を子どもながらもアウトドアの技術を駆使して通り抜け、やがて地底深くに竹の根のように張り巡らされた古い神殿の迷路の中で行われる「成人式」に巻き込まれていきます。
地下神殿の中で道に迷い、「外」を完全に失った2人は、飢えや渇き、勘といったみずからの身体との対話を続けつつ、試練をくぐりぬけるなかで、兄の練は「物理的にも精神的にもぴったりとずれることなく重なり合った、まさに等身大としか言いようのない、そのまま一人きりの自分がいるのだ」と思い、一方妹の千華子は「感情を爆発させるという行為には鎮静作用があって、なぜかは分からないが、そのあとで考えたことはそれ以前の自分よりも進んでいるような気がした」という境地に至ります。
あなたも、どうしても視線による俯瞰と浮揚からのみ世界を体験していきがちな現代社会において、いかに身体性を伴った「下と中」の体験を取り戻していくことができるかが問われていくでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
じっくりと形にするべきもの
今週のやぎ座は、あやふやな思いを明確な形へと置き換えていくような星回り。
青々として、年を越している、北方の潮流であることよ、というのが、「あをあをと年越す北のうしほかな」(飯田龍太)の大意。そうすると、「あをあをと」も「年越す」も「北の」も厳密にはすべて「うしほ」を修飾していて潮流の描写のはずなのですが、「あをあをと年越す」と読んだところで、年が改まろうとしている厳かな空気がただよう濃紺の夜空がイメージされてきます。
ただ、そこから「北のうしほかな」という結びまで一気に読み下ろすとき、そうした天上の景色が一気に海上の景色と交錯して、そこに風に煽られ飛ぶ激しい波しぶきが生じるのです。しかし作者は親子代々、山に囲まれた甲斐の国の奥地に住み続けてきた人ですから、掲句は実際に見た景色というより、決して直接は見ることのできない海への憧れを結晶化したものと言えます。
翻って、今のあなたにも実際に経験してみたいと思い描いてやまない憧れの景色やシチュエーションはあるでしょうか。今週は、作者のように曖昧な憧れを明確な形にしていくのにもってこいのタイミングとなるはず。