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[連載エッセイ]ちょっと、好きな色。「ミント」

インテリア

花や洋服、書店に並ぶ本の背表紙たち、おいしそうな洋菓子…、カラフルなものを目にすると心が踊り、わたしは「色辞典」を開きます。「この色は、どんな言葉で説明されているのかしら」と確かめてみる、それがわたしのお気に入りの遊びです。そんな、色に恋するわたしの、ちょっと好きな色を毎月ご紹介する連載エッセイ。3回目の今回は「ミント」です。

【連載エッセイ】ちょっと、好きな色。:毎月、ひとつの「色」を選んで「ちょっとしたお話」と一緒にお届けするエッセイです。

執筆:中前結花  イラスト:3 tree books

3 tree books

今月の色は「ミント」

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そもそも「ミント」とは。
その名の由来はもちろん、植物のミント(=薄荷)。その香りのように、爽やかで清潔感のある、誰からも好まれやすいカラーです。「ミントブルー」「ミントグリーン」と細かく分類されることもありますが、総じて春から夏のファッションに取り入れられることの多い、明るく華やかな色味です。

【ミント(薄荷)】

シソ科の多年草。湿った草地に自生。また香料や薬用とするため古くから栽培される。高さは約50センチメートル。葉は対生し、狭楕円形。8~10月、葉腋に淡紫紅色の小花を輪状につける。葉から薄荷油をとる。
(「大辞林」/ 三省堂 より)

香りや色味は「誰からも好まれやすい」と表したものの、そのフレーバーは、どちらかといえば好みの別れるところ。今のように「チョコミント」がコンビニやアイスショップで幅を利かせるようになったのは、ここ数年の話で、1974年の日本初登場以降永らく一部の食通が選ぶ「個性的」な味として知られていました。
そんな「ミント」や「ミントカラー」はわたしにとっても、永く敬遠していた存在でした。

小さいバレリーナ

“ミントカラー”は、わたしにとって「懐かしいレオタードの色」です。

ある日の昼下がり、あるいは夕方だったかもしれません。ただ何気なく流れていたNHKの番組に釘付けになったわたしは、「おかあさん、これやりたい」と母に訴えたそうです。放送されていたのは、どこかのバレエ団が踊る『コッペリア』。当時のわたしは、まだ2歳。すでにこのころから、わたしには「突拍子のなさ」が備わっていた、とも言えますが、これを“幼い子どもの言うこと”とやり過ごすことなく、3歳になるのを待って、母はわたしをバレエ団の教室に通わせてくれました。

かわいいピンクのレオタードを着て、ピンクのバレエシューズでレッスンに励む日々。教室に通う木曜日がたのしみでたのしみで、「レッスンの練習をする」と、自宅でも夕飯を食べる父の前で、毎日のようにくるくると回りました。

教室と同じぐらいたのしみだったのが、帰り道に食べるアイスクリーム。毎週「よくがんばったね」と母はチョコチップのアイスクリームを買ってくれ、「あれが上手にできた」「これが上手にできた」と夢中で話しながらアイスクリームを頬張るわたしの手をひいて帰りました。

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小学生になっても、わたしのバレエへの想いは冷めることがありませんでした。そんなある日、「おばあちゃんのお迎えに行かなあかんようになったの。ゆかちゃんはバレエお休みしてくれる?」と母に聞かれたわたしは「いやや。バレエ行く」とわがままを言いました。「じゃあ、頑張ってひとりで帰ってきてくれる?」と言われ、6歳になったばかりのわたしは「できる」と答えました。「はい、これ」母はわたしに100円玉と50円玉をひとつずつ手渡して「帰り道にアイスクリーム、自分で買ってごらん」と言います。「できる」。わたしは150円をかばんのポケットに仕舞い込みながら「だいじょうぶ」と母にも自分にも言い聞かせました。

無事にレッスンが終わり、わたしは教室のお友だちに「今日ね、ひとりでアイスクリーム買うの」と自慢しました。そのときの、その友人の返事をわたしはとてもよく覚えています。「わたし、もうあのお店でアイスクリーム買わへんねん。あのお店は他のお店より高いらしいで」。ずいぶんと大人びたことを言うものだと、わたしは感心しました。今思えば、誰かの受け売りにちがいないのですが、当時のわたしにはわかりません。「そうなんや…」なんだかさみしい気持ちになって、それでもわたしはチョコチップのアイスクリームに心を躍らせながら「さようなら!」と教室を後にして、アイスクリームショップに走りました。

湿布の味のアイスクリーム

「ごめんね、チョコチップは売り切れなんです」
店員さんにそう言われ、わたしは泣き出しそうな気持ちになります。迷いながらも、見た目がそっくりなアイスクリームを指さして、
「…じゃあ、これください」
とわたしが言うと、
「チョコミントはミント味だけど、だいじょうぶ?食べたことあるか、ママに聞いてみる?」
と言われました。
「だいじょうぶ。今日は、ひとりで買いにきたから」
妙に意地を張って答えると、わたしは生まれてはじめて「チョコミント」のアイスクリームを手にしたのでした。

ひと口目の衝撃をわたしは忘れません。
「貼るお薬の味だ…!」
レッスンで捻挫したとき、足に巻いてもらった湿布を思い出していました。とても食べきれそうにはなく、どうしたものかと帰り道を歩きながら考えました。「できる!」と言い張った手前、食べることのできないアイスクリームを買ってしまった、というのは癪です。
「どこかのごみ箱に捨ててしまおうか…」
一瞬、そんなことを考えますが、胸の中を不安でいっぱいにさせるのは、
「あのお店は他のお店より高いらしいで」
というあの子の声でした。

そのとき、つい数日前の出来事を思い出します。母と出かけた近所の喫茶店で「新しいレオタードがほしい」と話したところ「そうやね。ちょっと小さくなってきたもんね。じゃあ、お母さんはケーキやめとこうかな」と、母は自分のケーキは頼まず、わたしのホットケーキをひと口だけ食べて「ああ、おいしい」と笑いました。

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「うちは、貧乏なんだ…」

今思えば、それは母の「よし、買ってあげるよ」というちょっとした決意の宣言だったのでしょうが、小さなわたしには、それがとても深刻なことのように感じられました。

「あのお店は他のお店より高いらしいで」

それなのに、わたしのためにバレエのお月謝を払い、毎週それはそれは高価なアイスクリームまで買ってくれている。
いやちがう、だから我が家は貧乏になってしまったのだ。わたしのせいで、今や家計は押し潰されそうになっている。
おばあちゃんをお迎えに行くのも、なにかそういった事情が絡んでいるのかもしれない。
次々と誤った線でつながる我が家の問題に、「ついに知ってしまった!」というように、小さな胸は張り裂けそうになりました。

そんな母がなけなしのお金で買ってくれた、高価な高価な120円のアイスクリーム。
「絶対に、捨てちゃだめだ」
母はわたしを想って、無理をしてくれているのだ。
「絶対に、残しちゃいけない」

しかし、口に含むとツンとした刺激がいっぱいに広がり、ふた口目を口にする勇気が出ません。そのうち、アイスクリームはぼとぼとと溶けはじめ、手やスカートはベタベタになっていきました。日が暮れてあたりが暗くなってもどうすることもできず、終いには泣きながら溶け続けるアイスクリームを片手に、近所をぐるぐるとさまよい続けるのでした。

思い出の色、思い出の味

「ゆかちゃん?」
母の声がして、急いでわたしはアイスクリームを隠します。
「どうしたの?いっぱいこぼして。なにしてるの?」
「湿布のアイス買っちゃった。食べれないのにごめんなさい。お金ないのにごめんなさい」
泣きながら駆け寄ると、母は、
「よくわからへんけど、真っ暗やから帰ろう。お寿司あるよ、おばあちゃんと食べよう」
“お寿司”という言葉に、もはやわたしは卒倒しそうな想いでした。我が家の最後の贅沢かと覚悟して、それでもベタベタのわたしの手を引いてくれる母のやさしい手にとてつもない安心感をおぼえました。

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それから20年以上時は流れ、「ミントカラー」のブーム到来とともに仕事でもこの色と出会うことが多くなり、同僚やカメラマンに「わたしミント色は好きだけど、ミント味やチョコミントはずっと食べられなかったんですよ」「昔ね」と、遠い日のわたしのとんでもない勘違いを笑い話として話すことが多くなりました。

「それでね、その夜、お風呂のなかで『もうレオタードも要らないし、アイスクリームも食べないから、バレエだけ続けたい』って泣いたらしいんですよ。そしたら母は自分のちょっとした言葉の威力を思い知って『我慢、なんて二度と言わないから。ごめんね。明日、レオタードを買いにいこう』って翌日連れてってくれて」
「それで買ってもらったんですか?」
「そうなんです。だけど、わたしはまだまだ疑心暗鬼で、並んでるレオタードのなかから、いちばん安いものを買ってもらったんです」
「可笑しいけど、いい話ですね(笑)」

そのレオタードの色が実は「ミント色だった」というのは、つい数年前、この色が流行しはじめてから、気づいたことです。ミント味もチョコミントも食べられる大人になりましたが、口にするたび、遠いあの夜のできごとを思い出すのでした。

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