非効率なことをなぜやるのか?
そもそも固形石鹸を復活させたところで、いまの時代にニーズがあるのだろうか。100周年なんて自己満足なんじゃないか。7年もかけて固形石鹸をつくることにどんな意味があるのかと自問自答したこともあります。
例えば釜焚きも、非効率なのでやめたほうがいいという議論はずっとあります。自前の設備で職人を育てて作業するよりも、釜焚きでつくられた純石鹸の素地を買ってきたほうが安いからです。
最近、伊勢神宮の式年遷宮について勉強したんです。1300年以上続けられてきた伝統行事で、20年に一度、新殿を造ってご神体を移す神事のたびに、数百億円の事業費がかかるそうです。古来と同じ手法で続けることには現実的な難しさもあるでしょうし、さまざまな議論があるでしょう。
歴史ある多くのものごとは、時代の変化に伴って「何のために続けるのか」と問われることは避けられません。その問いに対する僕なりの答えは「続けること自体に意味があるから」です。
固形石鹸をつくることを一度やめたら復活できないということがわかった今、つくり続けていくことだけでも価値はあるんじゃないか。釜焚きも続けること自体に価値があるから、僕は続けようと決めました。だって、技術がなくなった状態を想像すると悲しいじゃないですか。
木村石鹸工業の営業・マーケティング部で固形石鹸のクラウドファンディングを担当する宮本成浩さん(右)は「社長のちゃぶ台返しがいちばん大変だった」と語る
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
まさかのちゃぶ台返し
ようやく固形石鹸を安定した品質でつくれるようになってきた2024年12月の仕事納めの日だったでしょうか。固形石鹸の名称やパッケージデザインづくりを半年かけて進めていたデザイナーと最終確認の打ち合わせをしていました。「これでいこう」となったときに僕が「やっぱりごめんなさい!」と言ってひっくり返したんです。......なんか違うな、と思って。
原料を厳選してゼロからつくった固形石鹸ですから、想定している単価でお客様に納得していただくには、高級感がある洗顔石鹸であることをうたう必要があると考えて、ラグジュアリーなデザイン案が進んでいました。品質には自信があったので、最初はそれがいいと思ったんです。でも、違和感が拭えなかった。固形石鹸づくりに挑戦しながら僕たちが向き合っているものは、ビジネスとしての成功ではなく、あくまで創業の原点に立ち返ることだったはずだ、と。
石鹸屋として創業からの100年を見つめ、次の100年のために新たなフォーマットでやり直そうという心意気や気持ちは「木村石鹸の木村石鹸です」という言葉にするのがいちばんシンプルだということに気がつきました。それで結局、セルフタイトルアルバムみたいな商品名になっちゃったんです(笑)
「木村石鹸の木村石鹸」には、関わりが深い銭湯の図柄を刻印してある
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
人間にしかできない仕事
僕たちのルーツは製造業であり、アイデンティティはものをつくることにあります。売ることよりもつくることのほうに比重を置き、そこにこだわりがあるので、必ずしも市場の要請にすべて答えていけば満たされるわけではないんです。
世の中のニーズを考えると今は固形石鹸ではないし、コスパで考えると釜焚きよりも効率的な製法がある。やめたほうが儲かると言われるかもしれませんが、製造に軸足を置いている企業としては、儲けるためにやめてしまうことは、自分たちのアイデンティティを損ねることになります。
時代の変化によって、対応しなければならないことと、変えてはいけないことがあります。難しいけれど、常に悩み、判断していくのは、AIではなく人間にしかできないことだからこそおもしろい。社長がやるべき仕事の一つですね。
※関連記事を2024年9月下旬に公開予定です