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運動が苦手な子も、みんなが楽しめる長縄の跳び方を考えてみた。「インクルーシブ教育」のいま

小学校の先生と保護者。距離が近いようでいて、互いを詳しく知る機会はなかなかありません。そこで、お互いの疑問やモヤモヤをぶつけ合ってみる連載を企画。元小学校教員の星野俊樹さんと、小学生のこどもがいる漫画家の田房永子さんの対談の3回目は、特性は背景にかかわらず、すべてのこどもが支援を受けながら学ぶ「インクルーシブ教育」について考えます。

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「保護者会の自己紹介が苦手です」 先生と親、ベストな距離感は?

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インクルーシブではない職員室

田房永子 前回のジェンダーの話の続きになりますが、学校案内などのパンフレットを見ていると、最近はさまざまな人種やジェンダーの生徒や、障害のある生徒がモデルとして登場しているように見受けられます。

前回のジェンダーの話

多様性を尊重していることを学校が表現したい意図はわかりますし、保護者もみんなで順応していっている感覚もあります。

障害や国籍、人種、性別にかかわらず、すべてのこどもが同じ環境で学ぶ「インクルーシブ教育」。なんとなくはわかるのですが、どこか流行語のような感じもして、私としては身をもって理解できているとは言えないんです。実態はどうなのでしょう。

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田房永子(たぶさ・えいこ) / 漫画家、エッセイスト。1978年生まれ。代表作は過干渉な母親との確執、葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』、家族にヒステリックにキレてしまう加害をやめる方法を記した『キレる私をやめたい』。竹書房コミックエッセイwebにて『喫茶 行動と人格』、&Sofaにて『昭和ママと令和キッズ』を連載中。

喫茶 行動と人格
昭和ママと令和キッズ

illustration by Eiko Tabusa

星野俊樹 たしかに「インクルーシブ教育」という言葉は、ここ数年で学校の中でもよく聞かれるようになりました。でも、その理念がどれくらい深く浸透しているかというと、僕はまだまだだと感じています。

そもそも学校という場は、家父長制をベースにしていて、そこにはジェンダー規範に基づいた、性別役割分担が埋め込まれていることは前回の対談でお話しました。

前回の対談

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田房 学校の中で「指導力がある」と評価されがちな「先生像」は、高圧的な態度の男性教員だという話でしたよね。

星野 はい。さらに学校には、育てたい「こども像」もあります。例えば、よく目にする「自ら頑張る」「主体的に取り組む」「たくましい体」といった言葉は、どこか「ひとりでやり抜く力」にばかり重きが置かれているように感じます。もちろん、それは大切な力ではありますが、今の時代には「誰かとつながる力」や「頼る力」も同じくらい大切だと思うんです。

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星野俊樹(ほしの・としき) / 1977年生まれ。京都大学大学院教育学研究科修了。出版社勤務を経て小学校教員に転職。公立小学校と私立小学校の勤務経験があり、教員歴は20年。2025年3月末で退職し、独立。社会的排除に向き合う人権教育に関心があり、教員時代は主に包括的性教育の実践に取り組んだ。6月に単著『とびこえる教室—フェミニズムと出会った僕が子どもたちと考えたふつう』(時事通信出版局)を出版予定。
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

星野 そして教育現場は「働き方改革」が導入されたとはいえ、教員の労働環境を改善するための根本的な構造改革としてまったく機能していないため、教員たちは「弱さを見せてはいけない」とか「感情は抑えて」「休暇や私生活よりも仕事優先」といった文化の中で働かざるをえないんです。

こうした空気の中で、お互いにケアし合う関係や、ちょっと立ち止まる余白はなかなか生み出せん。こうなってしまうと、現場ではどうしても、合わせることや我慢することが先に来てしまうことが多くなります。

インクルーシブな場所って、本来は"誰もがそのままでいられる空間"であるはずなのに、職員室や教員文化が全然インクルーシブじゃない。だから僕は、まず学校という場の前提や空気そのものを見直すところから始めていかないと、本当の意味でのインクルーシブは実現できないんじゃないかと思っています。

田房 なるほど......。インクルーシブ教育を掲げつつも、集団行動や連帯責任の名残はありますからね。

特に体育の授業では、先生も生徒も当然勝ち負けを気にしますし、運動が得意な人には、苦手な子の気持ちはなかなかわかってもらえませんでした。

みんな楽しめる長縄とは

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