マイナビウーマンのコア読者は“28歳”の働く未婚女性。今後のキャリア、これからどうしよう。結婚、出産は? 30歳を目前にして一番悩みが深まる年齢。そんな28歳の女性たちに向けて、さまざまな人生を歩む28人にインタビュー。取材を通していろんな「人生の選択肢」を届ける特集です。
取材・文:井田愛莉寿(マイナビウーマン編集部)
撮影:須田卓馬
写真加工:Matt
世の中は、少し前から「自分らしさ」という言葉をこぞって使うようになったと思う。しかも、すごく簡単に。
だから、それに合わせて多くの人が「偽の自分らしさ」をなんとなく演出して、卒なく生きる。本当に言いたいこと、やりたいことを主張するのは面倒な場面も多い。とは言いつつ、個性がないこともこれまた否定されがちで、すごく面倒くさい。ゆえの苦肉の策が、“それっぽく”自分を見せることだったりする。
でも、それでいいのか。30歳を目前にした私たちには、自分の人生を自分で決めるべき瞬間が何度も訪れる。こうして悩んだ末に話を聞いたのは、「本当の自分らしさ」を貫き続ける一人の男の子だった。
メディアも、人も、みんなが彼に夢中
「僕の初テレビ出演は3年前。大学4年生の時に留学していたんですが、そこで初めてハロウィンを経験して、『スーサイド・スクワット』のジョーカーに扮しました。その写真をTwitterに載せたらテレビ局の方の目に留まって、『ぜひテレビに出ませんか?』と声をかけていただいたんです。打ち合わせへ行ったら、桑田真澄の息子だと知られていなかったみたいで、すごくびっくりされたんですけど……」
笑いながら口元を隠す手元には、ピンクのストーンが散りばめられたネイル。ストーンと同色のリップがすごくキュートで、肌も完璧に仕上げられていた。この唯一無二のメイクに、今、メディアも一般人もみんなが興味津々だ。
だけど、そこだけにMattさんの全てが詰まっていると勘違いしてはいけない。
「僕が芸能界に入ったきっかけはメイクだったし、そこから2年間くらいはメイク中心のお仕事を続けていました。だけど、実は本当にやりたかったことが別にあったんです」
Mattが“本当にやりたかったこと”の正体
「今日の衣装、ミュージックステーションに出演した時のものなんですよ。そこに、羽とお花を付けてアレンジしたんです」
取材日は、少し遡って今年2月に実施された「東京ガールズコレクション2020 SPRING/SUMMER」。まるで天使のような風貌でランウェイに登場したMattさんは、その真っ白な衣装の説明を楽しそうに語る。
2020年1月17日、彼は自身が作詞作曲を手掛けた曲『予想もつかないStory』をミュージックステーションの舞台で披露したのだ。
メイクとその風貌で一躍有名になったMattさんは、小さな頃から音楽に触れ、ピアノやバイオリン、サックスなどを演奏する多才な一面を持つ。そして、彼が本当にやりたかったこと、それこそが音楽だった。
「2019年の秋には大きな転機がありました。こうして僕がメディアに出るようになったことで見ていただけたのか、憧れのジェジュンさんからいきなり事務所へ連絡をもらったんです。コンサートのゲストで出てもらえないか、というオファーでした。
そこでピアノの伴奏を行ったことで、音楽家としての僕にうまく転換するきっかけをもらえたんです。ジェジュンさんには、人生を大きく変えてもらいましたね」
憧れの人からの突然のオファー。Mattさんの自分らしさを発信し続ける姿勢が、飛躍につながった瞬間だった。
自分らしくいるって、いけないこと?
自身をこれでもかと美しく加工した写真は「Matt化」と呼ばれ、多くの人が自分の顔をアプリでいじり倒すという社会現象にまで発展した。
美しくなりたいという願望に対するストイックさ。それは最高にかっこいいもののはずなのに、時折“人と違うこと”は誰かの反感を買う。過去のインタビューで、Mattさんはこんなふうに語っていた。「僕のことを気持ち悪いって思う人だっているかもしれない」と。
「そういう言葉を投げかけられた時は確かにショックだったけど、でも何事も全員が好きになることなんてありえないじゃないですか」
芯の通った空気感をまとい続けるMattさんは、自信を崩さず、淡々と話す。
「それに、周りの意見がプラスになる時もあります。だから、アンチ全てが悪いわけじゃない。自分の成長につながる時だってあるから、僕の場合はそれもちゃんと見ます。で、一度受け入れる。今はいろんな人の意見と自分の意見、2つをミックスして、その中での自分らしさを出していきたいんです」
こうした強さの背景を聞けば、「だって、自分の人生だし」と当然のような言葉が返ってきて、何かに心をグサッと刺された気分になった。
「僕は自分自身に音楽って強みがあると思っていたから、絶対にそこで見返す自信があった。それだけは曲げずに生きてきました。
二世であることに対しても、『桑田真澄の息子なのに』と否定的な言い方をされることがありました。でも、僕はちゃんと言い返しますよ。だって父のもとに生まれて幸せですし、そこに負荷を感じたことは一度もないんです。
この先は、強みだと信じてきた音楽の仕事をちゃんとやっていきたいという思いがありますね。父が立っていた東京ドームの舞台で、僕の場合は歌いたい」