今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
夢は夜開く
今週のかに座は、ひとつの夢が夜開いていくような星回り。
スペインの画家ゴヤは、1799年に出版された版画連作『ロス・カプリチョス』のなかで、魔女たちの姿を描きました。ゴヤはこの連作を通して当時のスペイン社会を風刺していたと言われていますが、「飛行する魔女」という版画には「理性が眠るとき、妖怪がめざめる」というエピグラフがつけられました。
より正確に言えば、理性が眠りこむまでもなく妖怪はたえずめざめており、むしろ妖怪の威光の前では理性など手もなく眠りこけてしまうでしょう。ただし民衆というのは、もっとも恐れているはずのものを、実はひそかに願っているもので、ゴヤによって描かれた魔女の空飛ぶ姿も、小さな町の小さな住居にすくすくと育った変身と解放の願望が見せた小さな夢の一つだったのではないでしょうか。
あなたのこころにいつの間にか育っていた夢が、ひとつの明確な形をとるまでに成長していたのだということを、改めて実感していくことができるはず。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
笑いと囁き
今週のしし座は、怖いくらいに俗世を超越してしまうような星回り。
「初笑ひして反り返る僧仏師」の作者・山口燕青は、昭和の時代に仏像を彫って生活していた仏師であり、詠む句も仏師専門の俳句。どうしても死のイメージがついてまわる僧や仏師と「初笑い」の組み合わせには、どこか豪快な感じがあって、単なる滑稽味のみに堕していません。
思わず反り返るほどの大笑いが、すぐ死の傍らに転がっている。数多の出会いや別れ、酸いも甘いもかみ分けた末の、こうした凄味というのは普通の人間からはまず生まれこないはずで、あの反骨の禅僧のような、鍛え抜かれた人間の風格があります。
中世の10人の男女による恋愛話や失敗談など、艶笑にみちた退屈しのぎ話集である『デカメロン』にも通じる世界観でもありますが、デカメロンの舞台も大流行しているペストから逃れるため郊外に引きこもったという設定でした。あなたも自分の人間としての底がスーッと抜けていくのが実感していけるはず。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
音楽にのって共に踊る
今週のおとめ座は、近場ではなく、彼方からの働きかけとこそ強く共振していこうとするような星回り。
解剖学者の三木成夫は、講演録『内臓のはたらきと子どものこころ』の中で、口は内臓の前端露出部といえるものであり、「最も古い、最も根づよい、そして最も鋭敏な内臓感覚」がここに現われており、一方で内臓は胃も腸も子宮も膀胱も、ぐねぐねとうねり、たえず蠕動(ぜんどう)しているが、この臓腑の波動こそが「大脳皮質にこだま」して、音として分節されたのが言葉である、と述べています。
その意味で、声というのはいわば「露出した腸管の蠕動運動」を超えた、「もはや“響き”と化した内蔵表情」であり、そこには心拍のような明確で規則的なリズムとは異なる、言語的に分節しがたい言い難さ、言葉にならなさがあるのだとも言えます。
それはなぜか。内臓は不思議なことに、体内にあって「アンテナの届かぬ遠い宇宙空間の天体運行に同調」しており、いわば<彼方>と共振しようとするからではないでしょうか。あなたも遠くから受け取った波動を言葉にならないうめきとしての声に換えて、自身の口から発していこうとするはず。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
速度とリアリティ
今週のてんびん座は、まっさらになって新年を迎えていくような星回り。
それはまるで「スクリューを船より外し年用意」(棚山波郎)のよう。漁師にとって、漁船はいのちの次に大事な仕事道具であり、体の一部と言っても過言ではないでしょう。一年間よく働いてくれたことに感謝して、休ませてやる。スクリューは船の推進力の源であり、取ってしまえば船はもはや船ではなくなります。
それはつまり、漁師が猟師でなくなり、ただの人間に戻るということ、そしてそれを海神に分かるように示すという古い信仰の名残なのかもしれません。
農業においても、翌年に種を撒くことができるように耕作しないままにしておく休耕期間があるように、漁師にも人間にも、特別な余暇や安息日が必要なのでしょう。あなたも肩書きや役割から離れたところで、ひとりの人間としての自分自身を取り戻していく時間を大切にしていきたいところです。