今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
永遠に身を浸す
今週のかに座は、みずからに特別な休息を与えていこうとするような星回り。
「鶯の手もと休めむながしもと」を詠んだ河合智月は、江戸時代初期の女流俳人で、大津の荷問屋の妻でもあった人。「ながしもと」というのは、台所の流し場のあるあたりのことで、炊事やらをしていたら不意に鶯の鳴き声が聞こえてきたのでしょう。
「休めむ」はごくさりげない言い方ではありますが、現代社会において鶯の声が聞こえてきたからといって仕事の中断を決断できる人が一体どれくらいいるでしょうか。彼女の生きていた時代には、決められた通りに仕事を少しでも進めることよりも、春という新しい季節の到来に心を傾けることの方がずっと大切なこととされていたのかも知れません。
季節というものは、世界の外側から訪れる不思議な力の訪れ(霊威)として受け止められるもので、特にその初物(ここでは鶯の声)にあずかることはとても縁起がよいこととされていたのです。あなたもまた、いつもより少し仕事のペースを落としたり、生活内のストレスやノイズを減らしていくことがテーマとなってきそうです。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
負け犬こそ力強く、前に進むことができる
今週のしし座は、自分にできる挑戦に全力を賭けること以外の何かを、捨て去っていこうとするような星回り。
映画『リトル・ミス・サンシャイン』に出てくるのは、自己啓発プログラムの販売を目論むがうまくいかない父と、パイロットを目指して9カ月も無言の誓いを続けていたが途中で色盲が発覚する兄、ヘロイン中毒で施設を追い出された祖父と、恋人にフラれ自殺未遂を起こして保護観察が必要なプルーストの研究者である叔父、そしてそんな叔父を家族の病院から連れて帰ってきてしまった母。
そんなバラバラだった家族が、眼鏡をかけた決して美人とは言えない末娘のオリーブのミスコン出場を機に車での珍道中を決行するお話なのですが、ここで注目すべきは彼らを乗せて1100キロもの距離を走ったボロボロのワゴン車。なんとこの車、途中でギアが壊れ、エンジンが入らなくなるというハプニングが。
以降、さまざまな事件が起きる中をほとんど半壊の状態ながら、それもお構いなしで最後まで走り切り、結果的に家族をまとめあげる絆のシンボルになっていくのです。あなたもまた、駐車場のバーを突き破って高速へと乗り、全速力で走り出していったポンコツ車のように、誰になんと思われようと、ただ自分の好きなことをしていくだけと改めて過ごしていくべし。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
花とともに
今週のおとめ座は、誰か何かの思い出を美しいものにしていく工夫を施していくような星回り。
「雛しまふ跡に掃(はか)るゝ花色々」という句を詠んだ炭太祇は、江戸時代中期の俳人。雛壇の飾りを片付けたあと、座敷を掃いているのでしょう。いろいろの花がある訳ではなく、実際にはほこりや紐のきれはしや紙屑や雛あられなどが散らばっているだけのはず。それでも、お雛様の形見だと思えば、ちりひとつとっても花びらのように思えるのです。
時間が流れれば、どんなに愛らしいお雛様もやがて消えゆくさだめにあるものですが、それが後に残していったものをあえて「色々の花」に見立てることで、こころの大事な部分にそっとその思い出を刻み込もうとしているのかも知れません。
ちょっとしたことではありますが、これは誰にでもできることではありません。考えてみれば、誰か何かとの結びつきへの本音や向きあい方の本質が現れるのは、その結びつきがほどかれ別れを迎える時に他ならないように思います。あなたもまた、思い出に残すのにふさわしい結びつきを見定めてみるといいでしょう。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
地殻変動のただ中
今週のてんびん座は、自分が別のもう一人の自分にそっくり入れ替わっていくような星回り。
中国の古典に荘子の「胡蝶の夢」という有名の話があります。自分が蝶になった夢を見た荘周という男の話で、楽しく飛びまわる蝶になりきって、のびのびと快適にしていた。ところが目が覚めてみると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が蝶となった夢を見たのか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろう。こうした移行を物化(万物の変化)と名づけるのだ、と。
ここで注目したいのは、「俄然として覚むれば(ふと目が覚めてみると)」という、荘周と蝶の異なる次元への切り替わりの瞬間であり、次元の境い目の体験。そこでは二つの次元が互いに相対化しあっており、今ここにいる自分が自分であること、それは今ここに生きている「現実」が現実であることの自己同一性、安定性が揺るがされる体験に他なりません。
そして、その地殻変動にみずからも巻き込まれつつも、それを外側から傍観することが許されず、あくまで“内側”から体験するしかないのです。あなたもまた、わたしとわたし自身のあいだで暗黙の何かが働いているような感覚を思い出していくことができるかも知れません。