今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ブチ、シャリ、シャリ
今週のさそり座は、日ごろ劣位な感覚が怪しく蠢(うごめ)いていくような星回り。
やっと巡ってきた春という、季節の終わりを惜しむ「春惜しむ」は和歌以来の伝統的な晩春の季語ですが、「烏賊に触るる指先や春行くこころ」(中塚一碧楼)では烏賊の感触との取り合わせがいかにも俳句的で、斬新です。
台所にでも立っているのか、とにかく作者の指先がなまの「烏賊(いか)」に触れ、その弾力や湿り気を感じている時に、ふと春がどこかへ消えつつあるその心へ通じてしまった。その一方で、音に目をやると六・五・七音で、五・七・五のリズムからはだいぶ外れており、烏賊に触れた時の驚きが予想外に大きかったことが伺えます。
掲句は大正元年の句ですが、現代のように日常に大量の視覚情報が流れ込んでくる以前には、おそらく今よりずっと指先や舌先や肌感で色んなことを感じていたのでしょう。そしてただ感じるだけでなく、感じることで実際に人としての何かが決定的に変わってしまったのかも知れません。あなたもまた、得体の知れない場所へ連れ去られるべく五感を解放させていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
未知へ通じる径を拓く
今週のいて座は、自分の属するコミュニティ全体の行く末を予感していくような星回り。
人間の知覚=精神の変容の歴史を扱ったマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』には、ある衛生監視員がアフリカ原住民の部落で、衛生上の処理の仕方を映像で伝えようとした際のエピソードが紹介されています。その映像は作業の様子をゆっくりと撮ったものだったのですが、彼に何を見たか尋ねると「一羽の鶏」と答えたそう。
「私たちはこの鶏がどこに写っているのか調べるために、フィルムを一コマずつ注意深く見て行きました。すると果たして、一秒間、鶏が画面のすみを横切るのが写っていました。誰かにおどかされた鶏が飛び立って、画面の右下の方に入ってしまったのでした。これが原住民たちが見たすべてだったのです。」
画面全体を見るというお約束を知らない原住民にとって、映画を見るという行為は画面の細かい部分のみに注目することであり、同様に、彼らにとって病気は個人のからだの故障などではなく、生活を脅かす未知の顕われであり、個人の悩みである以前に、部族にとっての何らかの予兆であり、社会的な現象だったのです。あなたも、集団的な不安や因縁を夢や第六感を通して感受していきやすいでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
宣言と刻印
今週のやぎ座は、ささやかな未来への希望を明確に打ち出していこうとするような星回り。
「朝日煙る手中の蚕妻に示す」(金子兜太)は、作者が戦地から命からがら帰国し、その翌年結婚した際に詠んだ句。当時は新婚旅行もままならない頃でしたから、故郷の農道を歩いて旅行気分を味わっていたのだとか。その途中、農家の飼屋に立ち寄ったときに生まれたそうです。
掲句は「おい、動いてるぞ」と驚きを共有しているところとも、「これが蚕だ」と妻に教えている場面とも受け取れますが、蚕が日常からすっかり縁遠いものとなった現代であれば前者であったのかも知れません。ただ、「示す」という一語にみなぎる自負を鑑みれば、後者のようなニュアンスであったように思えます。
いずれにせよ、煙るように立ち込める朝日が二人の初々しい姿をより神聖なものとして浮かび上がらせています。やっと来るのであろう新しい時代への力強い希望が、この土地の暮らしを支えてきた貴重な蚕に託されたのでしょう。あなたも、みずからの日常を支えてくれている力の価値や可能性を改めて再発見していくことができるかも知れません。