今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ほどよく小さく人間らしく
今週のみずがめ座は、いつの間にか当たり前のものと思い込んでいた「生活のズレ」に気付いていくこと。
明治維新からすでに150年以上にわたって、私たち日本人は日常生活においても、思想や哲学においても、西洋と東洋の谷間に墜落したまま、青い顔をして不本意ながら歩いてきたのではないでしょうか。都市を埋め尽くす建物も道路も作り替えられていくうちに、ますます空は狭くなり、子どもが自由に走り回れる空間は失われてきましたが、それでもどこかで過渡期なのだからと多くの日本人は我慢を重ねてきたのではないかと思います。
家であれ思想であれ、そんな代用品でしかない“仮住まい”をどこかで終の棲家と信じ込んでいる節もある日本人の生活に、評論家の松山巌は『百年の棲家』の中で次のような疑念を投げかけています。
「過渡期に生じた生活のズレは現在まで何らかの痕跡を少なからず残しているのではないだろうか。ズレが分からないのは現在では当たり前として気づかぬからではあるまいか」あなたもまた、自分がいつの間にかハマり込んでいたズレや谷間を終の棲家にしないよう改めて気を付けていくべし。
今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
戻れない時間と人生のこの先
今週のうお座は、いつもより少し長大な物差しで、過去と未来について想いを馳せていくような星回り。
よき季節である春がついに去ろうしている。「ゆく春やうつろの甕を草の上」(長谷川春草)は、そのむなしさを、青々とした草に置かれた「うつろの甕(かめ)」に託した一句です。柔らかな草をおさえつけてそこに鎮座している重い甕は、作者にとって日常生活のシンボルであると同時に、どこかへふらりと流れていきがちな心を鎮めてくれる船の錨(いかり)のようなものだったのかも知れません。
そう考えると、「うつろの甕」というのどこか不思議な童話や昔話の世界の重要アイテムのような雰囲気さえ漂ってきます。おそらく、その中には目には見えずとも、これまでも作者の心をざわつかせてきたさまざまな想いがそこに封じられているのではないでしょうか。
そうであるからこそ、これから世界を覆い尽くしていく「草」の緑との対比が生きてくる訳で、そこには人が人として生きていく上で追わざるを得ない深い業と、それでも与えられているいのちあるものとしての可能性という構図も重ねられているように思います。あなたも、みずからの人生をひとつの叙事詩として捉え、語り直してみるといいでしょう。
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