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[6/14〜6/20の運勢]6月3週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

今週のさそり座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

ひとつの成熟

今週のさそり座は、自分の世界を構築していくために必要なプロセスを踏んでいくような星回り。

鴨長明の歌論書である『無名抄』に「言葉にも艶きはまりぬれば、ただ徳はおのづからそなはる(言葉の艶なるおもむきがきわまると、徳、つまりは力が自然と満ちてくる)」という一節があります。この箇所について、作家の堀田善衛はさらに一つの連想を浮かべていて、それは次のような一幕なのです。

「あるときに画家のドガが詩人マラルメに向かって、詩を一つ書いてみたいのだが、想はあるんだが、どうもうまく書けない、と言ったとき、言下にマラルメが、詩はことばで書くものであって観念で書くものではない、と」

つまり、書かれている内容の具体性ないし直接性が喪失されて初めてそれは詩になるのだ、ということです。フィクションというのは、ただ自分の気持ちのままに言葉を綴っているうちはとても構築できない。喪ってはじめて得られる世界なのだ、と長明は考えていたのではないでしょうか。あなたも、なにか一つを喪って別の何かを得ていくという取引を意図的に行っていくことになるかも知れません。

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今週のいて座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

本能の軌跡

今週のいて座は、「これが私だ」と暗に示していくような星回り。

「鳥辺山ほどに濡れゐるあやめかな」(柿本多映)で詠まれている「鳥辺山」とは歌枕の地であり、京都清水寺の南の丘陵地帯であり、平安時代には火葬場、墓地があったこともあり、“無常”の象徴と言えます。

その意味で、「鳥辺山ほどに濡れてゐる」というのは、なんとも壮絶で、底知れないほどの生き様を抱えて咲いている「あやめ」である、ということになります。

「あやめ」は「あやまち」という言葉ともかかりますから、これは自分自身の過去のあやまちを振り返りつつ、それを「濡れあやめ」に見立てているのだとも言えますが、これ以上の解釈を加えることはもはや野暮というものでしょう。あなたもまた、これまで生きてきた証しを何らかの仕方でかたちにしていくべく、みずから動いていくことになるかも知れません。

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今週のやぎ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

尊いとはどういうことか

今週のやぎ座は、みずからの存在の“尊さ”を直感していくような星回り。

「人間が出来て、何千何万になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。」

志賀直哉が晩年につづった短文には二種類の自己認識が語られていて、ひとつは自分は数えきれない人間の生き死にによって生じる「悠々流れる大河の一滴」に過ぎない、というもの。もうひとつは、しかしその一滴は「後にも前にもこの私だけ」だという一回限りの唯一無二だという自己認識です。

少なくとも、恩師である漱石の訃報に触れて書かれたともされるこの文章を書いたとき、志賀の頭にはそういう「一滴」は決してむなしいものではなく、それ自体意味のあるものという確信があったのではないでしょうか。あなたもまた、自身の死生観をまざまざと浮き彫りにさせていく機運が高まっていくことになるでしょう。

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