今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
再構築とそのためのベース
今週のさそり座は、心身ともに本当に深いところから癒していく上で、必要不可欠なものを探していこうとするような星回り。
マンダラと言えば、9世紀に空海が唐から持ち帰った両界曼荼羅が知られていますが、曼荼羅は宗教的真理を視覚的に描いた美術作品などではなく、あくまで修行のために欠かせない装置でありアイテムでありました。
日本人は、現実の自然そのものをマンダラに見立てるという発想を持っていた訳ですが、これは今でいうプロジェクションマッピングであり、その原点もやはり空海でした。『性霊集』巻一の「山に遊んで仙を慕う詩」には、「汚れなき宝の楼閣、金剛法界宮(ほっかいきゅう)は、堅固なダイアモンドの障壁でかこまれています。配下の仏菩薩や神々は雨のごとく数多ならび、その中央に大日如来が坐しています。」と書かれています。
彼の眼には高野の地をめぐる緑うるわしい山々が、マンダラに寄りつどう、たくさんの仏や菩薩、神々のすがたとして映っていて、彼以降、吉野や熊野、月山など、日本各地の自然がつぎつぎにマンダラに見なされていったのです。あなたも、単に自然に親しむという次元を超えて、より深いところでの癒し体験を感覚的に探究してみるといいでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
二元論を超えて
今週のいて座は、実際には見えるはずがないものをあえて見ていこうとするような星回り。
「天の川敵陣下に見ゆる哉(かな)」(正岡子規)は、1894年(明治27年)夏、日清戦争が勃発した年に詠まれた句。翌年、作者は従軍記者として大陸に渡ったものの、上陸二日後に講和が結ばれ、そのまま帰国の途につきました。
広大な大地をまたぐ、さらに壮大な天の川。そして、その下に長蛇をなして陣取る敵軍。尋常ではない緊迫感で身がすくんでしまってもおかしくないはずなのに、その今まで感じたことのないスケール感に思わず身を抜け出して、当時はまだなかったはずの飛行機に乗った鳥瞰へとまなざしが開かれていったのでしょう。おそらく作者は戦況を脳裡に描いた時に、暗い死の気配だけでなく、抑えきれないときめきもどこかで感じていたのかも知れません。
そして皮肉なことに、作者は戦地からの帰国の途上、船中にて喀血して重態に陥り、そのまま療養生活に入り、7年間の闘病生活のあいだに旺盛な創作活動を行った末、34歳の若さで亡くなりました。あなたもまた、自身の将来しかり国の行く末しかり、小さな日常や固定観念を飛び越えてまなざしを大きく広げていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
通過儀礼の挿入
今週のやぎ座は、日常に畏怖と魅惑を取り戻そうとしていくような星回り。
寺山修司が1975年に制作した『犬頭の男』は、阿佐ヶ谷という街を舞台に、三十時間何かが起こっているという状況演劇の一つなのですが、街のタバコ屋さんやパン屋さん、時計屋さんなどにハガキが届くのです。
そこに書かれているのは「タバコの火を貸してくれませんか」という内容で、しかもハガキは字の切り抜きだったそう。それで、実際に火を借りに男が訪ねてきて、タバコの火を貸してくれと言う。要するに、自分の生活空間において、ある期間に本当のことなのか空想なのかよく分からないような状況があちこちで起こるという作品で、そうした状況が平穏な街の日常に裂け目を入れていく。寺山は、そういう作品を通して「劇場」という枠を壊そうとしたのです。
そこでは観客は観客席に座って、舞台で起こっていることから切れ離されてあり、それゆえに、観客席に座ってただ他人事のように傍観しているだけで、何も脅かされないし、終って幕が引けば、またいつもの日常に戻れることが決まっている。それでいいのかと問い直したかったのでしょう。あなたもまた、自分の想定外の事態を通じて日常の在り方を問い直していきたいところです。