今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
共同体的制作へ
今週のかに座は、滅びや喪失の感覚を通じて、新たな文化やその萌芽をつくり出していこうとするような星回り。
一定の土地に集団で定住し、生活圏を自給自足で回るようにしてきた農耕社会を長らく続けてきた日本では、その文化形成においても、和歌における贈答歌や歌合わせなどに顕著に見られるように、創作と享受とが同じ場において営まれ、作者と読者が混然一体となった共同体単位(「座」)で一連の作品を生み出すという伝統がありました。
例えば現存する日本最古の歌集である『万葉集』。それは和歌が、農耕生活の祭りの場における集団的願望の表現行為として発生して以来、民謡的なものをバックに、個と集団とが一体化してかたち、ないし集団における唱和のかたちをとって展開を重ねてきたものが結実した古代的達成のピークに位置づけることができるでしょう。
そしてその背景には、壮絶な内乱によって大量の敗者や変死者が発生し、その怨念が道という道に溢れているという、凄まじい「滅び」や「喪失」の現実、すなわち「座の異常」があったのです。あなたもまた、誰かと心を通わせながら共に一つの作品、一つの文化の形成に参与していくつもりで過ごしてみるべし。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
生きよ堕ちよ
今週のしし座は、固くならずにそこにただ在るような星回り。
「海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ」(金子兜太)は、終戦の翌日に詠まれた句。作者は昭和19年(1944)に世界最大のサンゴ礁のあるトラック島へ、サイパンを経て出征しました。その地で戦友が倒れていくのを目の当たりにし、深刻な食糧難で飢え死にしていく者が後を絶たない極限状況を生き延び、終戦を迎えたのです。
その後、米軍に捕虜となって一年三か月後に最後の引き揚げ船で島を離れ、日本に帰ることができたのですが、掲句を詠んだ時点では、多くの日本人と同様、まだ戦争に負けたことの虚脱感や信じていたものを失った喪失感の方が相当に大きかったのではないでしょうか。
それでも、掲句には「生きる」ことへのまっすぐな思いが十七音に刻まれています。世界は広大で、自分はちっぽけな存在に過ぎない。その事実を前にすれば、いかに死ぬべきだの生きるべきだのの理想論は雲散霧消し、ただ震える心を抱いて、洋上にむくむくと昇り立つ「青雲」のように生きていくのみ。あなたも、変に自意識をこねくりまわさず、生き生きとする身体やこころを大切にしていくべし。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
「輝かしい肉の夢」のなかで
今週のおとめ座は、「広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸」とのはざまに佇んで「揺れ」ていくような星回り。
三島由紀夫の『美しい星』は、大杉家の家族四人がそれぞれ円盤を見て、自分が別の星からやってきた宇宙人であるという意識に目覚めるというSF小説。日本の家父長的文化から距離を置きつつ、人間の肉体をもつがゆえにどうしても矛盾や危うさを持ってしまう「異星人」の視点から、地球を救うための様々な努力が重ねられていくのですが、結末では一家の父親が癌で危篤に陥ります。そして「宇宙人の鳥瞰的な目」をもつ不死性を象徴する存在であった彼が、突如として「死」を意識するようになり、こう述べるのです。
「生きてゆく人間たちの、はかない、しかし輝かしい肉を夢みた。一寸傷ついただけで血を流すくせに、太陽を写す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だった。しかし同時に、人間はその肉体の縁を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく揺れやすい「明るい汀」にしたのだ。」
あなたもまた、必滅と不死のはざまで、さまざまな思いや記憶に触れていくことになるでしょう。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
異郷幻視
今週のてんびん座は、すでにかけてしまっている色眼鏡を、すこしズラしていこうとするような星回り。
湿っていて暑苦しい夏の季節風である「みなみかぜ」は、もともとは船乗りの使っていた言葉だったのだとか。「みなみかぜ貝殻は都市築きつつ」(九堂夜想)では、ひらがなに開かれたことで、どこか遠野物語のような異郷の幻想譚の雰囲気さえ漂う一句です。
句中の「貝殻」とは海沿い岩場に群生しているものなのか、浜への漂流物なのか、海の家で食べ終わった後に皿の上に積まれたものなのか定かではありませんが、湿った温風を受け、それまでとは別種のいのちを授かっているかのような印象を受けます。そこには人間が築いたものとは異質な「都市」が築かれ、そこでは私たちの想像を超えた、じつに豊かな社会的生活が展開されているのかも知れません。
人間には人間の、貝殻には貝殻の生があり、社会がある。数十年どころか数百万年、いや数億年来にわたって保持されてきた習俗には必ずや深い意味があるのではないでしょうか。あなたもまた、いつもとは少し異なるアプローチから豊かさや平和について考えてみるべし。