今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
単純人間
今週のさそり座は、普段とは異なるもうひとつの生活リズムを、用意していこうとするような星回り。
スイスの心理学者で精神医学者のカール・ユングは、都会での忙しい生活のかたわら、休日を利用して執筆にいそしむためにボーリンゲンという小さな村に石造りの簡素な家を建て、そこを隠れ家として使っていたそう。
そこで彼は朝7時に起き、鍋や釜に向かっておはようとあいさつをしてから、長い時間をかけて朝食とその準備をして、執筆や絵画や瞑想や散歩をし、またたっぷり時間をかけて夕食づくりにいそしみ、夕暮れの一杯を楽しんでから十時には就寝しました。彼は「ボーリンゲンでは、ほんとうの人生を生きている。とても深いところで自分自身になれるのだ」と書いてその極意を次のように結んでいる。
「電気のない生活のなかで、暖炉やコンロの火を絶やさないよう気をつける。日が暮れると古いランプに火を入れる。水道はなく、井戸からポンプで水をくむ。薪を割り、食事を作る。こういった単純な行為が、人間を単純にする。だが、単純であることが、いかに難しいか!」あなたもまた、自身をどれだけ単純にできるか試してみるといいでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
エモ山エモ太郎
今週のいて座は、体験知から自然と生まれてくるものを大事にしていくような星回り。
「月ありと見ゆる雲あり湖(うみ)の上」(清原枴童)は、一見なんてことない素朴な句のように見えますが、実際に視線をたどる経過を確認してみるとじつによく出来ている秀句。ある湖の上に夜の空がかぶさっており、雲がかかっているのではっきりとはしていないけれども、月のある晩のことであるから、薄ぼんやりと明るい。そして、あるところの雲を見ると他と比べて特に明るいので、恐らくはその辺りに月があるのだろう、というのです。
これをもし、「あの雲のかげに月あり湖の上」などと、あくまで月の居場所にこだわって詠んでいたなら、ただの説明となって句全体の印象もずっとうすかったはず。
見えている光景を自然に感じながら、次第にその「感じ」に奥行きが与えられていくことで初めて、想像力は活発にはたらいていく。作者はそのことを手や肌感覚で体得しており、掲句も自然に生まれたのでしょう。魂が動くような句というのは、必ずそうした体験知から結果的に生まれてきたものなのです。あなたもまた、客観的で科学的であるかどうかより、いっそ自分なりの「エモさ」を追求していくべし。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
昼寝の後のぼんやり
今週のやぎ座は、改めて自身の現在地点を捉えなおしていこうとするような星回り。
考えてみれば、僕たちはいつだって、前のめりになって未来を先取りすぎてしまうか、逆に落ち込んだり気にし過ぎたりして、過去に戻り過ぎてしまうかのどちらかに振り切れすぎており、<いまここ>にちょうどよく落ち着くことができずにいます。
その意味で、「いまは“まだ”・・・・でない」という意識と「いまは“もう”・・・・でない」という意識の双方に「いま」がパックリと口を開いているのだとも言える訳ですが、こうした「“もう”から“まだ”へ」という意識の移行を成立させる場所としての「いま」のことを、ハイデッガーは「拡がり(Dimension)」と呼びました。
これは「次元」と訳されていますが、もとはラテン語の「ディメチオール(測量する)」に由来していました。すなわち、断絶のない連続的なまとまりであることが「測る」の対象であり、少なくとも自身の感覚で測れる「拡がり」をもつある種の運動こそが「いま」の正体であると、彼は考えていた訳です。あなたは、もう何者かである自分と、まだ何者でもない自分とのあいだに、どんな「拡がり」を見出していくでしょうか?そこに留意するべし。