不登校の小中学生の数が過去最多となっています。その対策を協議する会議での、フリースクールをめぐる滋賀県東近江市長の発言に波紋が広がっています。ジャーナリストとして子育てや教育について扱ってきた後、現在は東京大学特任助教を務める中野円佳さんは「学校という枠組みに対する根本的な問いを、この発言があぶり出した」と投げかけます。中野さんの寄稿を掲載します。
「僕は文科省がフリースクールの存在を認めてしまったということに、がく然としているんですよ」
2023年10月17日に滋賀県の会議で東近江市の小椋正清市長がした発言が問題になっている。不登校の小中学生の数が過去最多を更新する中、県での対応策を議論していた場でのことだという。
小椋市長は会議の後には、「不登校の大半は親の責任だ」とも述べたという。これに対し、フリースクール関係者らや不登校を経験した親たちから反発の声が上がっている。滋賀県内のフリースクールなどでつくる協議会などが10月20日に滋賀県庁で会見し、「子どもたちがどんな思いで学校に行かずに過ごしているか、行政に知ってほしい」と訴えたことが報じられている。
小椋市長の発言と、一斉に反論が上がったところに、むしろ不登校を巡る葛藤が垣間見える。
多くの不登校の原因は不明
文部科学省「令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によると、不登校の状態にある小中学生は2022年度、およそ29万9000人となり、10年連続で増加して過去最多となった。
同調査では、不登校の要因として「無気力・不安」が最も多く、51.8%とされている。こうした要因のうち一部は自律神経の乱れで生じる起立性調節障害などの可能性があり、治療や生活リズムの改善などで立て直せるケースもあるという(『子どもが起きない!』)。
しかし、『NPOカタリバがみんなと作った不登校親子のための教科書』の著者で不登校支援なども手掛けてきたNPOカタリバ代表理事の今村久美さんは「不登校の大半は、子ども自身も、これが理由というふうにはハッキリわからないことが多い。犯人探しをしても問題は解決しないことが多い」と話す。
出典:文部科学省「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果
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そもそも、既存の枠組みに合わないと感じる子たちがいること自体を誰かが責任を追及されるべき「問題」だとする認識自体がひとつの価値観を反映したものだと言える。
文部科学省自体が、不登校に関するサイトで「不登校は決して問題行動でありません」と述べている。仮に不登校が問題だとしても、それは子どもや親が「問題」であるのではなく、硬直的な教育システム側の問題であるという見方もできる。
小椋市長は「大半の善良な市民は、本当に嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく、義務教育を受けさそうとしているんです」とも発言したという。つまり嫌がる子たちも行っているのに、フリースクールに行かせるという選択肢を採る親子は甘えている、というわけだ。
この発言は、嫌がる子どもを無理やり押し込まないといけないような学校という枠組み自体を疑わなければならないことを、ある意味で端的に示しているかもしれない。
すでに葛藤している親
とはいえ、積極的選択としてオルタナティブスクール(公教育とは異なる独自の教育理念で運営される学校)に通う一部の子どもとその親を除けば、多くの場合、子どもが学校に行かないと言い出せば、親たちが頭を悩ませてしまうのも事実だ。
現実的に、子どもが不登校になると、昼食も家で用意しなければならず、低学年であれば仕事をすることもままならなくなる。我が子が学校に行かないことが「問題行動」だとは思わない努力をしながらも、いわゆる「普通」を逸脱してしまうことへの葛藤は大きい。
学校というレールに乗せていればすべて安泰という時代ではないとはわかっていても、その他大勢が通っている学校に行かないことで、将来についても不安な気持ちが頭をもたげてしまう――。
あらゆる働きかけをして、再び学校に通わせようと様々な試行錯誤をするのが大半の親ではないだろうか。
我が子が不登校になってからの葛藤と試行錯誤を描いたコミックエッセイ『学校に行かない君が教えてくれたこと』では、小学1年生から息子の行き渋りが始まり、苦悩し、母親自身もうつ病になってしまう様子が描かれている。
根底には、ある意味で小椋市長と同じような「学校くらい行かせるべき」という意識があるからこそ、多くの親が苦しむ。そして、子ども自身も、周囲や親の対応で自己肯定感を下げたり、「学校に行くか死ぬかの二択を迫られているよう」な気になる(『明日、学校へ行きたくないー言葉にならない思いを抱える君へ』)といった、非常に苦しい心情に追い込まれている。
だからこそ、小椋市長の発言は、すでに様々な葛藤や試行錯誤をしている親を苦しめ、子どもを追い詰めるものだと非難されている。また、既存の学校に合わない子に様々な取り組みがせっかく用意されつつあるのに、その多様化の動きを否定する意味でも問題だ。
フリースクールの動き
実際に、学校が合わないとなったときに相談できる先や、取ることができる選択肢は増えている。スクールカウンセラーが対応する体制や、自治体が昼間の子どもたちの居場所をつくっているケースも多い。
筆者自身、自分の子どものためもあり、数か所のオルタナティブスクールを見学に行ったことがあるが、自分自身が「フリースクール」に対するバイアスにとらわれていたことに気づかされた。不登校の子が通うところというと、コミュニケーションが苦手な子が多いのではというイメージが頭のどこかであったのかもしれない。
むしろ、多くのフリースクールで、子どもたちはものすごく生き生きしている。それも偏見なのだが、「この子たちが"普通"の学校に行けないのが不思議」と思ってしまうほどに、子どもたちは場所を変えればまったく"問題"ではなくなっているのだ。
そもそも学習進度も、発達の問題などで遅れがちな子もいれば「吹きこぼれ」「ギフテッド」などと呼ばれ、学校の勉強が簡単すぎて生きづらい思いを抱えている子もいる(『どの子も違う - 才能を伸ばす子育て 潰す子育て』『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』など)。