700年以上の歴史をもち、日本三大白蛇神社の一つとして知られる「蛇窪神社(へびくぼじんじゃ)」。ここには財運や復活を象徴する白蛇様が祭られ、お参りをすることで金運上昇、心身清浄、立身出世といったご神徳を授かれるとされています。境内にはあちこちにかわいい白蛇様たちが! この神社ならではの開運おまじないや御朱印、御守りなども見逃せませんよ。
地域を見守る東京の白蛇様「蛇窪神社」創建の言い伝え
最寄り駅は東急大井町線の中延駅や戸越公園駅、JR横須賀線の西大井駅。駅から徒歩で10分前後、商店街を通ってくると「蛇窪神社」にたどり着きます。
蛇窪神社は鎌倉時代末期の元亨3年(1323)ごろに創建された神社です。正式名称は「天祖神社」ですが、もともと蛇窪村とよばれていた地域(現・品川区)の発展を願い、令和元年に「蛇窪神社」が通称として正式に採用されました。
日本三大白蛇神社の一つで「東京の白蛇さま」としても知られており、白蛇様の縁日である巳の日・己巳(つちのとみ)の日にはお正月のような賑わいに。地域の象徴として人々に親しまれています。
鳥居をくぐると「一粒万倍像」がお出迎え
その縁起はこう伝えられています。文永8年(1272)、北条四朗左近大夫陸奥守重時は五男の時千代に蛇窪の地の開発を命じました。時千代は後に法圓上人(ほうえんしょうにん)と名乗り大田区の厳正寺(ごんしょうじ)を開山、家臣たちを蛇窪周辺に住まわせます。
その50年後の元亨2年(1322年)、現在の東京と埼玉一帯が大旱魃(だいかんばつ)に見舞われ、飢饉が迫ったときのこと。厳正寺の第二世・法密上人はこの危機を救うため、龍神社で断食祈願を行い、その結果大雨に恵まれたといわれています。
時千代の旧家臣たちはこれに感謝し、この蛇窪の地に神社(当時は「神明社」の名)を建立したのが始まりです。
巳の日に合わせて旬の花々で彩られる手水舎
白蛇様を祭るようになったのは、鎌倉時代、現社殿の左横に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいたことに由縁します。しかし、いつのまにか洗い場がなくなり、白蛇は現在の戸越公園の池へと移住。
あるとき、土地の有力者の夢枕に白蛇が現れ「早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願してきました。その話を宮司に伝えると、宮司は白蛇をもとに戻せるよう池を掘って、辨財天社(べんざいてんしゃ)を建立したのです。
まずは本殿にご挨拶。日頃の感謝を伝え、世の平和を願おう
「蛇窪神社」の境内にはこのような伝承をもととした「蛇窪龍神社」「白蛇辨財天社」「法密稲荷社」と、天照大御神・天児屋根命・応神天皇が祭られた御本殿があり、これらすべての神様を「蛇窪大明神」と総称としています。
思わずカメラを向けたくなる! 表情豊かな白蛇様たち
本殿へのご挨拶を終えたら、境内右奥へと進んで行きましょう。そこには白蛇様たちが集う空間が……。
まず現れるのが白蛇様の夫婦、「撫で白蛇」です。大きい方がメス、小さい方がオスで、中央に宝珠を抱えています。
蛇は脱皮をする生き物であることから、身の浄化や再生、気力の回復などを願って、やさしく撫でてあげてくださいね。
「撫で白蛇」の両側には、白蛇様の置物がずらり。これらは巳の日限定の「巳くじ」(初穂料500円、模様あり)や、家運隆昌の御守り「白蛇置物」(初穂料2000円、模様なし)。白蛇様帰還の由緒になぞらえて、参拝者がお礼参りで奉納したものを並べています。
お隣の「蛇窪龍神社」には、今にも動き出しそうな白蛇様たちと水力を司る龍神様の姿が。7匹の白蛇が8匹目で白龍へと変貌する言い伝えを表しています。龍神と蛇を一緒に祭っているのは全国でも珍しいのだとか。
1000年以上前から伝わる地域の守護神が祭られており、法密上人が700年ほど前に雨乞い祈願をした場所ともいわれています。そのため心願成就や立身出世(巳が龍、すなわち身が立つ)やお願いをするのにぴったり。
こちらは「白蛇辨財天社」。蛇は弁財天の使いでもあるとされています。かつて白蛇様を再びお迎えするために、池を掘って石祠を建てた伝承に由来しています。手前の「夢巳橋」も、夢枕にたった2匹の白蛇にちなんで名付けられました。
辨財天は財福の神様として知られていますが、琵琶を奏でている姿から、芸能や知恵の神様としても崇められています。
ちなみにここにいる白蛇たちのとぐろの向きや、池の水の流れはすべて時計回り。これは世の中の物事やお金の巡りが滞りなく流れていくさまを表しているそうです。