大阪府との府境にある京都府南部の大山崎町。この町のシンボル・天王山の中腹で築100年以上の歴史を紡ぐ洋館が、今回ご紹介するアサヒグループ大山崎山荘美術館(あさひぐるーぷおおやまざきさんそうびじゅつかん)です。クロード・モネの《睡蓮》連作があることで有名な美術館ですが、実は建築にもこだわりが詰まっているのをご存じですか。今回は建築にフォーカスして、その魅力を深掘りします。
【築100年以上!】大実業家自らが設計・監修を手がけた理想の住宅
豊臣秀吉と明智光秀が天下を争った天王山。豊かな自然に包まれた空間に本館「大山崎山荘」が立つ(登録有形文化財)
大正元年(1912)、天王山の中腹で本格的な山荘の建築が始まりました。設計を監修したのは、関西でも指折りの資産家・加賀正太郎氏。証券会社などのほか、大日本果汁(後のニッカウヰスキー)の創設にも参画した大実業家でした。加賀氏は若い頃、欧州留学を通じて当時最先端だった西洋の生活様式を体験。日本でもその理想的な生活を実践しようと、自ら建物や庭園の設計に携わりました。
山荘の奥にそびえる栖霞楼(せいかろう)。加賀はこの木造3階建ての物見塔で建築の指揮を執ったという(登録有形文化財)
その後、約20年もの歳月をかけて完成させた英国スタイルの山荘は、天王山の自然と美しく調和する理想的な住まいになりました。大正時代から昭和初期にかけての洋風建築としての文化的価値も高く、平成16年(2004)には本館をはじめとする6つの建造物が国の文化財登録を受けています。
加賀氏が築いた夢の住まいは、氏の没後、数奇な運命をたどります。幾度か転売されたのち、平成元年(1989)には大規模マンション建設のため老朽化した建物を取り壊す計画が浮上したのです。そんな状況を見かねて、地元の有志が保存運動を展開。京都府や大山崎町も、アサヒビール株式会社に建物保存のための支援を要請します。アサヒビールの前身、朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)の初代社長山本爲三郎氏は、加賀氏と深い親交があった人物。加賀氏はその晩年に、ニッカウヰスキーの株を山本氏に託したほど、ふたりの信頼関係が構築されていました。
「地中の宝石箱」へ向かうエレベーター付近では、加賀氏が手がけたレトロ建築と現代的な安藤建築が交差する光景を目の当たりにできる
加賀氏と山本氏の交流が時代を経て新たな縁となり、平成8年(1996)、大山崎山荘は大規模な修繕を経て「アサヒビール大山崎山荘美術館」として生まれ変わりました。美しい自然に抱かれた館内には、山本が支援した民藝運動にまつわる作品や、印象派の巨匠クロード・モネの傑作《睡蓮》連作などを展示。今では多くの人が訪れる人気スポットとなっています。
【山荘1階】施主のこだわりが詰まった空間美に感動!
美術館は、約5500㎡の広大な庭園内に、本館の他、安藤忠雄氏が設計した「地中の宝石箱」や「夢の箱」などで構成されています。それでは早速、本館を見学しましょう。加賀氏は、イギリスのウィンザー城から眺めたテムズ川の流れの記憶をたどり、木津川、宇治川、桂川の三川が合流する大山崎に理想の住まいを求めて山荘建築に着手。当時の山荘は、現在の本館玄関ホール部分にあたり、イギリスで見た炭鉱夫の家をモチーフにしたといわれています。
山荘の1階でぜひじっくりと見学したいのが、加賀氏がくつろいでいた旧居間(現山本記念展示室)。現在は、民藝運動に熱心だった山本爲三郎氏のコレクションが展示されていますが、注目すべきポイントは、加賀氏が細部にわたってこだわり抜いた意匠です。
そのひとつが、暖炉や天井に施されたこちらの装飾。山荘がある乙訓地域名産のタケノコの意匠が彫り込まれています。一つひとつが細密に表現されていてかわいらしいですね。
暖炉を取り囲むように配置されているのは、中国の後漢時代に墳墓を飾った画像石(がぞうせき)や画像磚(がぞうせん)と呼ばれるもの。歴史的にも大変貴重なものを邸宅の装飾に使用。加賀氏が磨いてきた高いセンスと豊富な財力を感じられます。
天井近くにある壁の彫り物は、加賀家の家紋である四つ目菱が描かれ、荘厳な雰囲気を演出。他にも、実際に魚網が塗り込まれた壁面装飾など、細かく見れば見るほど、加賀氏の装飾へのこだわりが伝わる内装となっています。
居間の隣は明るい空間が広がります。こちらの旧応接室には石の壁に龍山石を、床や窓の下の部分には大理石を用い、まるで宮殿のような趣です。この部屋には、世界遺産のパルミラ遺跡から発掘された「パルミラ饗宴図浮彫」(制作時期2-3世紀)が常設展示。当時の人々の暮らしがうかがえる貴重な遺物を、大山崎で鑑賞できます。
1階をぐるりと散策していると窓越しに美しい庭園と池が姿を現します。夏には睡蓮の花が、秋が深まる頃には紅葉が美しく、レトロな洋館と絶妙に調和した光景が訪れた人を楽しませてくれます。
池の東側にあるこちらの通路は新棟、「夢の箱」(山手館)へと続きます。加賀氏は蘭の栽培を生涯の趣味としており、かつてはこの通路の先には蘭を育成するための温室がありました。天井や側面に大きなガラスが配されたこちらの通路はアールを描いた窓が明るく柔らかな雰囲気を醸し出します。
他にも、暖炉と作り付けのソファが設置されたスペースなど、加賀氏のこだわりが随所に感じられる空間。レトロ建築ファンでなくても、ときめきが止まりません。