さまざまなソロ活を経て気づいたことに「ソロ活はお金をかければたいてい楽しい」というのがある。ならばこそ、お金をかけずにソロ活を楽しむ方法を模索していくべきなのではないだろうか。そういうわけで、「0円ソロ活」始めます。
「楽しいソロ活をするには?」という質問の最適解のひとつは、正直に言うと「お金をかけること」になる。身も蓋もないが、失敗しにくさでいえば結局これが一番なのだ。
ソロ活は否が応でも目の前のコンテンツ頼みになりがちだ。「私」と「行き先」とのダイレクトな関係性であり、そこに介入するものはほかに何もない。純然たるコンテンツ力の勝負。そうなると、コースディナーやディズニーランドなどが安定した満足度を叩き出すことになるわけだ。高いお金を払うことになるが、質のいいサービスは担保されるからである。もちろん、ここにさらにそれぞれ「その場所が好きかどうか」という各々の判断軸が加わるため、「値段が高い」だけが良さに繋がるとも一概には言えないわけだが。
少なくとも、「オススメのソロ活を教えてください!」という誰に向けて答えればいいのかもわからないぼんやりとした質問に対しては、こちらも「好きなことをしてください」とぼんやりとしたことを答えるか、あるいは「一人フルコースや一人ディズニーですかね」と金銭に頼った回答をせざるを得ないのである。
「一人焼肉がオススメですよ」「一人旅、いいですよ」と言ったところで、その人がもともと焼肉や旅行を好きでなければ意味がない。それを言うなら、コース料理が嫌いな人も、ディズニーが好きじゃない人もいるだろうけれど、ここを掘り下げていたらキリがない。美味しいご飯とミッキーマウスで人はだいたい笑顔になると思っている。
だからといって、ソロ活が「貴族の楽しみ」のように思われるのは違う。そもそも私はソロ活をしているが、貴族ではない。貴族になれるものならなりたい。
お金をかければ楽しいのは当たり前なのだから、お金をかけないソロ活の楽しみ方や方法論を追求してみよう、というのが今後のこの連載の目的となる。第一回目の行き先は動物園だ。さっきから何の脈絡もなく、動物の写真が登場するので、バレバレだったかとは思う。前置き的な文章がやけに長いから、こういうことになるのだ。
というわけで、無料で入園できる「江戸川区自然動物園」へやってきた。公園の中に突然動物園が登場するので、初めて来たときは結構驚く。とにかく「急に動物園がある!」という感じなのだ。動物園のすぐ外は公園そのもので、子どもたちのための遊具やベンチがあるのだ。この近所の人たちは、ちょっとそこの公園へ行く感覚で動物園に行けるわけだ。羨ましい。
公園の中にあるからといって、簡易的なわけでは決してなく、動物たちがエサを食べる「もぐもぐタイム」があるなど、0円ながらもかなり本格的な動物園だ。
地域の施設だからか、「うんこで野菜を育てよう」という子どもたちの教育に良さそうな催しもやっている。
入口近くはペンギンにクモザルといったメジャーな動物が華を添えている。大きな動物園と比べて人が少ないからか、動物たちものんびりしているような雰囲気だった。
ふれあいコーナーの中も、動物たちがのんびり寝ている。右も左もとにかく寝ている。ふれあいコーナーにはそれなりに人がいてもなお、この警戒心のなさである。
ヤギを撫でていたら、おじいさんが話しかけてきた。「その子、ミルキーっていうんだよ」。曰く、「ミルキーはね、本当は真ん中の箱の中が好きなんだけどね、ほかの動物に取られて追いやられちゃうの」。「必ずあの、お気に入りの箱のところに行こうとするの。どうしてもあの真ん中の箱の中が落ち着くんだろうね」。真ん中の箱とは、モルモットがいるこの箱のことだろう。
この箱はそもそもモルモット用なんじゃないのだろうか・・・と思ったが、おじいさんは断固としてミルキー擁護の姿勢だ。「かわいそうでしょう?ミルキー」とかなんとかずっと言っている。このミルキーじいさんは一体なんなんだろう。ずっとミルキーのそばでミルキーを撫でている。
▲せっかくなのでミルキーじいさんに、ミルキーとの写真を撮ってもらった
ふれあいコーナーからさらに奥へ行くと、プレーリードッグやワラビー、アリクイなどがいるエリアに入る。その途中、金魚の展示コーナーもあった。江戸川区は金魚の三大産地のひとつらしい。
江戸時代中期、庶民の間で金魚がブームとなった。その際、広い土地と水質の良い江戸川区で金魚の養殖が発展したのだとか。また、金魚はフナが突然変異で赤くなったもので、3世紀ごろ、中国の晋の時代にその原種と思われる赤いヒブナが発見されたのだそうだ。室町時代に中国から伝わり、しばらくは高級輸入品として大名などの間で広まった。江戸時代のブームを経て、今に至る。
▲立ち方がかわいいプレーリードッグ
動物園に一人で行くことの何がいいって、ひとつの動物を気の済むまで撮り続けていいことだろう。このときも、へたりこんでいたプレーリードッグが立つ瞬間を延々と待った。人と行く動物園ではなかなかできないことである。