今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
街の中に隠れる
今週のかに座は、どうしたって隠れることの難しい現代社会において、世間の普通と反対のことに励んでいくような星回り。
『方丈記』の昔から、この国にはたとえ人生でどんなに栄華を極めようと、最後は名声も、家や家族も捨て、山で小さな庵を編んで、つつましやかに暮らしながら最期を待つのが何よりの幸せという、美しい理想がありました。
今やそうした理想は現実味を欠いた絵空事のような扱いを受けるようになってしまいましたが、今でもそうした理想に向かって人生をたえず整えたい、踏み出していきたいと考えている人たちは一定数いるのではないでしょうか。
慌ただしい東京の中で例えばごく小さな部屋を借り、必要な分だけ働いて、あとは本を読んだり音楽を聴いたりして静かな毎日を過ごしている人が、今もなお少なからずいるとしたら。この国もまだまだ捨てたもんじゃないなと思えるはず。あなたもまた、そんな「街の中に隠れる」遊びに興じてみるのも悪くないでしょう。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
鮮やかな対比を
今週のしし座は、まだ周囲の誰も評価していないようなものに価値を見出していくような星回り。
「世の人の見つけぬ花や軒の栗」(松尾芭蕉)という句において、芭蕉は世間の人が見出さない栗の花の美を、積極的に見出して詠んでいます。それは「栗」という字が「西」に「木」という字から出来ており、どこか死を連想させるからということも関係しているのではないでしょうか。
また掲句は漂泊者である芭蕉が、栗の木の下で隠棲をつづける僧・可伸を訪ねていった際に生まれたもの。弥生時代からの稲作文化のただ中にあって、あえて狩猟採集文化の縄文時代にもっとも重宝されていた栗の木を頼って生きる生き方もあるのだという発見をしたということでもあったはずです。
今週のあなたもまた、自分と対照的な立場や営みをしていながらも、互いの価値を引き出しあえるような他者と積極的に関わっていきたいところです。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
織物としての日々の営み
今週のおとめ座は、日常を縦糸と横糸の織物として捉え直していこうとするような星回り。
女性画家ジョージア・オキーフは、60を越えてから亡くなるまで米・ニューメキシコ州の砂漠に住み続けたそう。早朝に30分の散歩をしてから7時に朝食をとり、アトリエへ行って正午の昼食をのぞいては一日中仕事をし、16時半に軽い夕食をすませて、たっぷりと大自然の中をドライブをしてから寝るというスケジュールを好んだと言います。
ただその一方で、絵を描かない日は、生きていくためにしなければいけないことを慌ただしく片付けていたそう。彼女にとっては絵を描くことがいちばん楽しいことであり、ある意味で、そのために他のすべてのことをやっていたのだといいます。
「絵を描くことは、わたしの生活を作っているすべてのものの意味を貫く糸のようなもの」(リサ・マインツ・メッセンジャー『ジョージア・オキーフ』)今週のあなたもまた、自分なりの糸をキュッとしめ上げていきたいところです。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
堂々と魔がさすまま
今週のてんびん座は、のんきな顔で大胆に切り抜けていくような星回り。
「魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも」(正木ゆう子)は、思わず笑ってしまう一句。作者がのっぺりと長い実を垂れ下げる「糸瓜」のようなのんきな顔で、バツが悪くなった状況に「どうもどうも」と挨拶を入れていくのは、なかなかどうして大胆な振る舞いのようにも思えてくるから不思議です。
生きている人間の顔というのは、思った以上に真面目な顔をしていて、だから周囲としても真面目な顔をせざるを得ませんが、相手が「へちま」となれば、こっちだって「ひょうたん」だったり「からすうり」であってもいい訳ですから、気が楽になるというもの。
そう考えると、案外「へちま」になってみせることができるのも一つの立派な芸と言えるかもしれませんね。今週のあなたもまた、のびのびと「魔がさす」自分を周囲へさらしてみるといいでしょう。