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[3/8〜3/14の運勢]3月2週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

占い

isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

私における振り幅

今週のかに座は、対極的な生き方へと心が振れていくような星回り。

旧約聖書に登場する、人類最初の殺人の主人公であるカインとアベルの兄弟ですが、実際の『創世記』の記述はきわめて簡素であり、特に弟のアベルについては数行あるばかり。兄カインは、創意工夫にみち、また協力しあうことの大切さと、豊かさの価値を知る「大地を耕す者」でしたが、一方のアベルは自由で孤独な遊牧民であり、そうした生き様はかれらの名前にも象徴的に表わされていました。

ヘブライ語でカインの名は「得る」という意であり、アベルとは「口からもれるはかない息」、そして「空(くう)」をあらしたのです。名前風にするなら、得夫と空介といったところでしょう。

神は弟アベルをひいきし、それが引き金となってアベルは殺人を犯したとされますが、個人的に推測するなら、神はただ文字通り「真空」を象徴するアベルに引き寄せられ、力学的原理に基づく自然な結果をもたらしただけなのではないでしょうか。あなたも自分の人生のどこかにある“真空”へと、少なからず引き寄せられていくはず。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

春のメメント・モリ

今週のしし座は、忘れていた力のみなぎりをかすかに取り戻していくような星回り。

春になれば水が温(ぬる)み、水が温かくなれば目高(メダカ)が浮かぶ。「目高浮く最中へ落る椿哉」(溝口素丸)は、そこへ椿(つばき)の花が落ちてきた情景が詠まれています。のんびりと泳いでいたメダカたちもきっと一斉に四散してしまったに違いありません。そしてその後には、嘘のような静寂だけが残されていたはず。

すべてがゆるやかに弛緩していく春のさなかに訪れた、一瞬の動と静。それはまた、まだどこか寝ぼけまなこだったいのちあるものたちを目覚めさせるには十分な出来事だったのではないでしょうか。掲句にもどこか江戸の世において、戦乱の火種やその兆しに対する鋭敏さを忘れてはいない者たち特有の嗅覚のようなものが感じられます。

しかし江戸であれ現代であれ、いつの世にあっても、いのちの感覚を深めてくれるのは死の予感に他ならないのです。あなたもまた、危機意識とともに個としての強さとは異なる別の力が、次第に充ちてくるのを感じていくことでしょう。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

結びつける快楽を求めて

今週のおとめ座は、ギブ&テイクの限界を思い知っていくような星回り。

近内悠太さんの『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』という本には、貧困問題に取り組む活動家・湯浅誠さんの『反貧困』に登場する実話が取り上げられています。認知症の母親と二人暮らしをしていた54歳の男性は苦労を重ね、「他人様に迷惑をかけてはいけない」という父親の教えに従って「死ぬしかない」と母親を殺め、みずからも自殺を図ったという、何とも言えない悲劇です。

近内さんはここに人間の活動やその生産物のすべてをサービスや商品として捉え、どこまでも交換の論理を押し進める資本主義の限界を見て取り、先の実話の男性の判断を「交換の論理の導く帰結」と分析してみせました。

交換(ギブ&テイク、ウィン-ウィン)の論理に基づく社会とは、裏を返せば「交換するものがなくなったとき、あらゆる関係は解消される」社会なのであり、そうした社会で封じられた言葉こそ、追い詰められた際に誰かを頼って、つながりを求める「助けて」というひと言だったというわけ。あなたもまた、「迷惑」という排除の理屈をこえて、頼り頼られ、助け助けられるつながりやそれを引き寄せるためのアクションへと勇気をもって進んでいくことがテーマとなっていきそうです。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

ひかりかがやく青二才

今週のてんびん座は、改めていろいろな可能性を身に宿していくような星回り。

春は光あふれる季節であり、人の服装だけでなく、野山がさまざまな色に彩られていきますが、「水ぬるむ日のあをいろを鳥に巻く」(小津夜景)に出てくる「あを」とは実はとても古い言葉で、「青(あお)」でもなくかと言って「赤(あか)」でもないさまざまな色みや状態を指していました。

例えば、現代でも未熟で経験の浅い人などを「青二才」などと呼びますが、これもかつて使われた「あを」の名残りであり、ここではもはや混ざり気のない真っ白ではなくなったものの、まだはっきりとしたカラーを持つにはいたっていない状態が暗に含まれています。

すなわち、「水ぬるむ」ことによって、新たな季節の到来とともに、微妙であわい、中間的なこの世界の質感が呼び出され、それが花のようにはっきりと観察することが難しい鳥のうちにこそ宿りつつあることがそっと告げられているのです。あなたもまた、どんな自分さえも道半ばである限り、滑稽などということはないのだということに気が付いていくことでしょう。

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