今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
不安の種を晒す
今週のかに座は、みずからの「落としどころ」をひそかに測っていくような星回り。
「限界状況」という言葉は、いささか大げさにも感じられますが、とはいえ、私たちが一生のうちで何度もぶつかっていかなければならぬ「もうこうなっては」とか「いよいよ」といった、ごく平凡な感覚や気持ちとも深く関係しているように思います。
そもそも私たち人間は、生・老・病・死という四つの苦しみを絶対条件として生存を許されていて、私たちはイライラやメランコリーなどの一時的な気分や、晴れの日の次に雨の日が巡ってくるような出来事と同じように、いやなものだったり、気の迷いや心の弱さの現われとして、はね返し忘れ去ろうとする傾向にあります。
そうしなければ、日々の業務や生活は円滑に回らないし、意欲が衰えてしまうから。こうしたけなげさは、間違いなく人間のもつ特有の性質である一方で、私たちは予想外の状況に置かれて初めて、思ってもみなかった自分を発見し、自分が人間であること、他人が人間であること、この決まりきった事実を突如まざまざと実感するのです。あなたもまた、「いよいよ」とか「もうこうなっては」といった限界状況を自分事として受け止め、深めていくことがテーマとなっていきそうです。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
自然に自然を重ねる
今週のしし座は、どこか恬淡とした諦めの気持ちが湧いてくるような星回り。
それはまるで、「野分雲湧けど草刈る山平ら」(飯田蛇笏)という句のよう。山の上のほうで草を刈っていると、野の草を吹き分ける強い暴風や台風がやって来そうな、恐ろしい雲が湧き出したという。けれども、別に怖れもせずにやはり草を刈り続けているというのです。これは作者が寒い甲州の山中での生活のなかで会得したひとつの透徹した心境のなせる技なのか、それとももともとの気質なのか。
少なくとも、ここには何かをたくらんだり、のしあがってやろうといった俗情もなければ、何に苦しむところもなく、まさに自分もまたひとつの山のごとくどっしりと構えた余裕があります。
よく「あるがままに」とか「自然体で」などといった言葉を使いますが、それはコンクリートにかこまれた無機質な空間では土台無理な話で、掲句のような雄大な自然と実存をかけて向き合っていくなかで、おもむろに湧いてくるものなのではないでしょうか。あなたもまた、無理なく自然なかたちで気力が満ちてくるのを実感していくことができるかも。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
合わせと結社
今週のおとめ座は、暮らしとデザインを一体化させていこうとするような星回り。
芸術が芸術たりえるのは、真っ向勝負ではなく、立ち位置を周縁へと動かしたり、少し角度を変えていくからで、それを資格や制度や権力のど真ん中に収まって喜んだり争ったりしているようでは、そこから豊かなものはまったくもってできあがってきませんし、そこに集う個人も、次第に自由な個ではなくなっていってしまいます。
人類の共同体内には太古の昔から存在してきた「結社」というものが存在し、そこで既存の秩序やルールを大きく逸脱した異常な働きを取りこんで、束の間のあいだ公に姿を現わすことで、自分と世界に他に類のない豊かさをもたらしてきましたが、その構成員はほんの二、三人でもいいんです。そこで商売をするのであれ、自然への回帰を目指すのであれ、共に過ごしていく中で、生きる力を高めていけるかどうかが大切で、それこそが結社の命でした。
今週のおとめ座もまた、表面的な流行や成功を追うためではなく、端的に感動すること、愛すること、望むこと、そして身ぶるいするために、どこに身を置き、誰と関わり、何にリソースを割いていくべきか、そのひとつひとつを丁寧に考えてみて。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ジャンプ!
今週のてんびん座は、対照的なものが、それでも一致するポイントのなかにみずからを置いていくような星回り。
「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」(秋元不死男)という句の「鳥わたる」の鳥とは、日本で冬を過ごすために北国から渡ってくる渡り鳥のこと。この句は終戦直後の昭和二十一年に詠まれたもので、当時缶詰はとても貴重で得難い食べ物でした。
この句も、たまたま手に入れることのできた缶詰をひとりで開けていると、北から渡り鳥が空を横切っていくのが見えたところを詠んだわけで、「こきこきこき」は缶切で缶のふちを切っていく音であると同時に、渡り鳥のなき声のようにも聞こえます。
天上と地上、集団と孤、遠く旅するものと一つところに留まるものと、それぞれ対照的ではありますが、しかしどちらも生き難いこの世をひたすら生きるもの、生きねばならぬ者同士。そのささやかではありますが、かけがえのない呼応の喜びが、この「こきこきこき」という擬音にこめられているのだと言えます。あなたもまた、そうしたささやかな喜びをこそ大切にしていきたいところです。