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[12/20〜12/26の運勢]12月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

役に立ったら負け

今週のかに座は、効率性を無視してでも、日々の生活をひとつの「語り」にしていこうとするような星回り。

心理学者の河合隼雄さんがどこかで書いていた話なのですが、心理療法家などが患者さんに「夢を言ってください」というときに、「プリーズ・テル・ミー・ユア・ドリーム」という代わりに、「Please relate your dream(プリーズ・リレート・ユア・ドリーム)」という言い方があるのだそうです。

「リレート」というのは「関係づける」という意味の動詞。名詞形の「リレーション」には、「関係」という意味だけでなく「物語」という意味もあります。

つまり、「プリーズ・リレート・ユア・ドリーム」というのは、事実と事実とをつなぐものが出てくるように、みずからを促してみてくれとか、言葉につまったり、言い淀んだりしてもいいから、何かそこに感じるものを盛り込みながらストーリーを作ってみよう、語りに筋を通してみよう、ということなんですね。あなたもまた、そうした1人の「語り/騙り手」となったつもりでストーリーを取り戻してみるといいでしょう。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

胸に去来するもの

今週のしし座は、もう何もないというところから、わずかに去来するものを見つめていくような星回り。

「わが命ここに極まり冴返る」(横井迦南)は、作者の遺書に書き添えられていたいくつかの句のうちのひとつ。妻に先立たれ、子供がなくて養子を育てたが親子の縁は薄く、天涯の孤客であったと書き記しているその心に去来した「冴え」とは、いったい何だったのだろうか。

冬の夜の静寂のなか、70余年の人生の感慨がながれている。はじめは複雑に絡まりあった心理としてあったものが、次第にほどかれていき、やがて透き通ったひとつの流れとなって「ここ」に極まっていったのかもしれない。

それはもはや生への悩みを捨て去って静かになった幽明の境地と言えるが、それでも、遺書だけでなく句を詠んだということは、やはり最後の微かな情が胸を打っていったに違いない。あなたもまた、これまで自分が為してきたことや結んできた関わりから、何らかの応答が返ってきやすいタイミングにあると言えるだろう。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

暮らしのデザイン思考

今週のおとめ座は、自分自身の「仕事」に繋がる、無数の可能性に開かれていくような星回り。

現代社会を生き抜いていく上で必要な“お金”を、どれだけ有意義に獲得していくか。そんな美学を持つためには、「労働」と「仕事」の区別や配分が必要となります。この場合の「労働」とは、他人が発想したことをもとに、その一部分として働くことにより金銭を獲得することを指し、「仕事」とはあくまで自分自身の頭で考えたことを、体を使って実行し具現化し続け、そのことに人生を費やすということ。

つまり、ここでは金銭を得るための効率性や方法のよしあしではなく、自分がいかに生きていこうとしているか、という生き様の有無や、それにどれだけの時間と手間をかけるかということが問題になってくるのです。

「いったい自分は何をしたいのか?生きていくためにはいくら必要で、それを獲得するためにはどういう働き方や配分にしていくのが自分なりのベストなのか」という思考が重要で、その中でどれだけ気持ちよくお金を得たり遣ったりして生きていけるかという話なのだと思います。あなたもまた、できるだけ既成概念ではなく自分という「ものさし」で生きていくための思考を取り戻していきたいところ。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

無数の泡が弾ける

今週のてんびん座は、水底から立ち昇る泡沫に酔いしれていくような星回り。

「第九」ことベートーヴェンの第九交響曲が12月の季語となったきっかけは、その昔、上野の東京音楽学校(現・芸大)の先生や学生たちによる演奏から始まったとされています。しかし、第九が年末の代名詞として完全に定着するようになった背景には、1950〜60年代に最盛期を迎えた「うたごえ運動」があり、それに乗ったアマチュア合唱団が「第九」を歌い始め、そのコンサートに団員の家族や友人が駆けつけたことも大きかったようです。

「第九歌むかし音楽喫茶あり」(大石悦子)の「音楽喫茶」というのも、うたごえ運動の拠点として日本全国に広がった「歌声喫茶」のことであり、それは日本の工業化や農村離れが進むなか、失われつつある民謡や演舞などを再発掘するという民族主義的な側面も持ち合わせていました。

そこには多かれ少なかれ、抑圧に対する抵抗や反戦ということが本質としてあり、掲句においても作者自身の若かりし頃の貧しさやひたむきの純情などの残り香が、第九を通して立ち昇ってきたのでしょう。音楽であれ文学であれ、忘れられない表現には、必ずその人の享受した時と環境と心情とが、まるでレコードの溝のように刻みつけられているものです。あなたも、そうした経験の再浮上と不意に直面していくことになるかも知れません。

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