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[1/24〜1/30の運勢]1月5週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

占い

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

世路は山川より険し

今週のかに座は、意識をより洗練された無色(白)へと導き、大きな循環のプロセスとの調和を促していくような星回り。

「水が責めぬきし白さよ寒晒」(右城暮石)に出てくる「寒晒(かんざらし)」とは、白玉粉などを作るための作業。石臼などで砕いたもち米の粉を、濁りが取れるまで何度も水を替えて冷水に漬け、寒気に晒して陰干しすることを言い、晩冬の季語です。わざわざこんな寒い時期を選んで、そんなつらい作業をしなくても、と思ってしまうのも人情ですが、そうまでしてでも寒ざらしの寒天(寒晒で作るところてんの意味)を食べたくなるのも人の性というもの。

現在ではそうした工程も機械化され、また井戸水や湧き水の冷たさを感じる機会もめっきり少なくなってしまいましたが、「水が責めぬきし白さ」という表現には、どこか時代を超えて伝わってくる霊的体感が息づいているように思います。

特に、暮らしぶりが厳しくなった昨今の日本社会を思えば、小林一茶であれば、世に生きる路は山川よりけわしいとして、地べたに暮らすかそけき者たちの姿をそこに重ねて詠んでしまうところでしょう。あなたもまた、密かに「寒晒」に励んでいる者たちの存在にいかに気付き、そっと身を添わしていけるかがテーマとなっていきそうです。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

欠落者の道

今週のしし座は、転落や欠落を改めて、みずからのアイデンティティの一部として引き受けていくような星回り。

「夜の世界」に集う人たちというのは「昼の世界」に居場所を現に失っているか、かつて決定的な仕方で失ったことがある人たちがほとんどです。

そこには欠落を抱えた者同士の気遣いのようなものがある種の「匂い」として漂っていて、そういう匂いをかぐと人間どうしても格好のつけようがなくなるというか、たとえ格好をつけていたとしても、そのポーズの裏にある深い悲しみが滲み出てきてしまうものなのでしょう。

表舞台で順調に過ごしているときというのは、なかなか自分の欠落には気付けないものですが、理屈では説明のできない運命に絡めとられてしまったり、何かを仕出かしてしまったり、またちょっとした出来事がきっかけで、欠落と向き合わざるを得なくなってしまったとき、人間はある意味で「夜の世界」の住人としての道を歩み始めるのかも知れません。あなたも、そうした「夜の世界」に居心地のよさを感じてしまう人間のひとりとしてこの世をさすらっていくべし。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

交錯の場をつくる

今週のおとめ座は、この上なく個人的なことと、他者のそれとの出会いに直面していくような星回り。

「人が来て人が出てゆく霜の家」(今場忠夫)の舞台は、入っても出ても、なんの変化もない1軒の家。そこにはまざまざと感じられる真冬の静けさが息づいている。しかし、これがもし「雪の家」で締めくくられていたら、どうだったろうか。人影はより一段と鮮明になったかもしれない。ただ鮮明にはなっても、「人が来て人が出てゆく」という森閑とした時間の経過の妙は生きなかったに違いない。

そして辺り一体の表面を霜で覆われた「霜の家」であればこそ、朝日を受けてキラキラと輝く光景を受け、確かな時間の経過とともに、ちょっとした人間の出入りなどでは決して侵されることのない自然の底深さのようなものが感じられてくるのではないか。

そう考えると、ここでいう「家」とは私たち一人ひとりに与えられた生の比喩かもしれない。1回限りの短い一瞬の、この上なく個的な出来事であると同時に、悠久の歴史を重ねてきた普遍の法則のもとにある開かれた、自由な世界であり、その両者が神秘な出会いを遂げる場であると。あなたも、過去と現在、自分と他者の一瞬のこの奇妙な交錯の意味するところについて何らかの気付きがもたらされていくはず。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

地球の男に飽きたところよ

今週のてんびん座は、奪われた世界との接触を取り戻そうとしていくような星回り。

むかしの街というのは、ひとつひとつの家がそれぞれに異なっていたり、家と家のあいだによくわからない空間や隙間が存在したり、横丁も非常に入り組んでいて、鬼ごっこやかくれんぼが自然にできたものでした。しかし、家屋構造も既製のものがほとんどとなり、都市計画で整備された結果、家にも街にもある種のラビリンス(迷路)がなくなってしまいました。

ではその代わりに何が起きているかというと、大人になってからUFOを見たりして、<未知との遭遇>をする訳です。ただ、そうしたUFOというのは一種のデジャヴュ(既視感)体験であって、既知のものとつながることで未知が帰ってくるようになっている。

それは思春期のやり直しでもあって、若いころに世の中からの隠れ場所を見つけることを周囲や時代に許されなかった人ほど、後半生に改めて合意的現実(母船)からインキュベーション(潜伏)しようとして、うさんくさい領域に分け入っていく。昔の人はそういうことをちゃんと分かっていたからこそ、便所や納戸を離して建てたのかもしれません。あなたも、そうした高等なかくれんぼに興じてみるといいでしょう。

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