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占い

今週のさそり座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

祈りの内実

今週のさそり座は、感覚的にみずからの人となりを思い知らされていくような星回り。

「死に行くときも焼きいもをさはつた手」(宮本佳世乃)という句は、冒頭の「死に行く」で暗い予感を抱かせつつも、「ときも焼き芋」と何か柔らかく包まれるような感触を音の連続で想起させ、最後は「さはつた手」に残された余韻を味わう。

人が死ぬ前に見ると言われる走馬燈はあくまで視覚的な体験だが、掲句に詠まれているのはもっと原始的で本能的な、つまり触覚的なそれだ。いよいよのときにふっと思い出すのは、かつて誰かの背中に感じたぬくもりだろうか、それともある冬の日に寒さで感覚を失った手に抱いた「焼き芋」の熱だろうか。

案外、後者なのかも知れないし、その意外さに自分でも笑ってしまいそうなところが妙にリアルでもある。だが、それは決して滑稽さなどではなく、人間の心象世界というものにどうしたって入り込んでくる一種のユーモアであり、それをその人なりの人間味と呼ぶのだろう。あなたもまた、どうしたって消せないみずからの人間味を味わっていくことになるはず。

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今週のいて座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

問われる

今週のいて座は、「神」の代わりとなる何かに自らの身をあずけていたことに気が付いていくような星回り。

悪天候、空腹、不潔、足の腫れと痛み、物盗りや野犬などの脅威など。中世の巡礼たちの孤独な旅路には、快適にアレンジされた毎日のなかで、現代の私たちが忘れてしまったあらゆる不快さや危険がつきものであり、それらが結託してたえず彼らをさいなみました。

そうまでしてでも聖地への遠い旅路を歩いてむかったのは、災厄や悲しみの衝撃を和らげようとしたからであり、そうした伝統は中世人にとってほど「神」が明確な存在ではなくなってしまった現代においても、よく目を凝らしさえすれば、そこかしこに受け継がれているように思います。

例えそれがささやかな夢であれ、強固な信念であれ、人生でそれらを実現することの難しさに直面し、保身を超えねばならない瞬間が訪れたとき、夢や信念は少なくともあなたにとってかつての「神」に代わるほどの切実さを伴うものとなるのです。巡礼の目的が目的地にたどり着くことではなく、旅の途上そのものにあり、その本質が「問われること」にあるとするならば、あなたも、これまで身をあずけていた何かにその切実さを問われていくことになるかも知れません。

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今週のやぎ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

化けさせてくれるもの

今週のやぎ座は、単なる一個人がかけがえのない尊い存在へと“化ける”際の、諸条件に思い当っていくような星回り。

「大冬木黄金の棒の如き時」の作者・上野泰には、長野県の小諸に疎開し、俳句を学び始めた頃の思い出にみずからふれた次のような一節があります。

「小諸の冬は寒かった。地の中核から中天に一本の鋭い棒がきりきりと舞ひ立つて行く様であつた。吸取紙がインクを吸ふ様に一歩外を出ると頬も鼻も寒さを吸ひ取つて赤くなつた。」

そうしてみると、掲句における「大冬木」もまた、作者の空想上の「1本の鋭い棒」に重ねられており、こうした擬人法的隠喩による静物の生命付与が作者の俳句上の大きな特色となっていることが分かります。ただ、掲句の「大冬木」が同時に、生きた生命をもって把握された人間の姿―おそらく作者自身の像でもあることが感じられてくるはず。そうして、じっと見つめたものの中からおのずと湧き上がってきた生命感の内在が、この句を単なる比喩を用いた説明文以上のものにしているのでしょう。

あなたもまた、自分がどれだけ他者や時代に支えられ、ツキに恵まれてきたのかということに改めて気が付いていくはず。

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