今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
終わらせ方を思い出す
今週のさそり座は、気が付いたら始めてしまっていたり、その上に乗ってしまったものやことを、キャンセルしていこうとするような星回り。
哲学者・中島隆博は『全体主義の克服』で、東洋的な発想について「『穴』や『窓』や『器』といった外に開かれたものが出てくる底がある。つまり、物の背景自体は物ではない。このことに気付くと、物と思われるものも物ではない、つまり『無』であることがわかる。」と述べています。
ここで言う「無」とは、物以前に働くもの。中島はそれを「一種の取り消された働き」とか「何らかの操作の取り消し」と呼んでいますが、それこそまさに今の日本政府や政治家に必要な発想でしょう。つまり、無の中にきちんと根を下ろしていないから、物事の終わらせ方が感覚的に分からなくなってしまったのではないか、と。
あなたもまた、どうしたら近代合理主義やそれを基礎づけているものの見方を超えた発想を取り入れられるかが、ひとつの鍵になってくるはず。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
気づいたらやってた
今週のいて座は、考える間もなく誰か何かと自分を重ねてしまうような星回り。
『春寒の無礼を別の人が詫びる』(中山奈々)という句のごとし。
可能か不可能か、そもそもなぜ自分が謝らねばならないのか、といった逡巡(しゅんじゅん)や迷いはここにはありませんし、何なら春という季節と自分との境い目もなくなってほとんど重なってしまっています。だとすると、やはり掲句は朝まだ寝ぼけたままの子供による、不意のつぶやきのようなものなのかも知れません。
あなたもまた、いつもなら距離をあけて構えがちな相手にも、むしろ一足飛びで向かっていくような勢いが出てきやすいでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
異なる道の開拓
今週のやぎ座は、生を「死」という形できちんと完成させるべく、生きて生きて生き抜いてやろうとするような星回り。
漫画家の山岸涼子の『朱雀門』は、中学生の女の子である千夏と、その叔母の春秋子(すずこ)さんという2人を軸に展開されるお話。春秋子さんが千夏の部屋で彼女がたまたま読んでいた芥川龍之介の『六の宮の姫君』を見つけるところで、グッと核心に入ります。
『六の宮の姫君』では、ある平安時代の姫君が、親に死なれ頼れる人もおらず途方に暮れている。結局、姫君は屋敷も失い、成仏することなく息を引き取る。千夏は「これじゃあんまり姫君がかわいそうじゃない?」とこの結末に疑問を持ちますが、叔母はむしろそこが芥川の凄いところなのだと告げ、「『生』を生きない者は、『死』をも死ねない…と彼は言いたいのよ」と返すのです。
あなたもまた、どうしたらみずからの「生」を生きて生き抜くことができるのか、考え動いていきたいところです。