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「意識高い」では続かない。ごみゼロを目指す上勝町が、町民に"完璧"を強いない理由

ライフスタイル

例えば「ちりつもポイントサービス」。紙類など資源化すると収益になる8品目の分別に協力した町民にポイントを付与し、貯まったら商品と交換できるサービスです。月1回、3000円の商品券が抽選で当たるダブルチャンスもあります。

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「ちりつもポイント」の交換商品には、リサイクルできる素材のものや、子育て世帯の負担を減らす学用品がある
出典:ZERO WASTE TOWN Kamikatsu サイト

ZERO WASTE TOWN Kamikatsu サイト

「ポイントを貯めて、移住4年目でステンレスピンチハンガーをゲットしました」というのは、前出の大塚さん。

「プラスチックのピンチだと劣化してしまいますが、ステンレスだと長く使え、金属としてリサイクルもしやすいです。ポイント交換商品には、長く使えるものやリサイクルしやすいもの、学用品などを選んでいます」

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ゼロ・ウェイストセンターの建材や備品など、いたるところでリユース品が使われている

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Akiko Kobayashi / OTEMOTO

上勝町の2020年度のごみの量は294トン。本来ならごみ処理費用として年間1691万円かかるところ、町民が分別に協力して8割を資源化したことで、842万円で済みました。

さらに、有価で業者に引き取られる紙や金属などは年間90万〜150万円ほどの収益になっています。

「町民が分別に協力してくれるおかげで処理費用が削減でき、売上が生まれるので、しっかりと町民に還元していきたいです」(藤井さん)

ゴミステーションの各分別コンテナには、処理費用がいくらかかるか、資源化すると収益がいくらになるかの目安の金額が表示されており、分別による成果が町民にわかりやすくなっています。

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再生紙として収益につながる紙パックなどは「ちりつもポイント」の対象。リサイクルが難しいアルミ付き紙パックも、町とパートナーシップを結んだ日誠産業の技術により分別回収が可能になった
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ごみは生活そのもの

家庭ごみはゴミステーションに持ち込むのが原則ですが、持ち込みができない人もいます。車を持たない高齢者およそ50世帯には、「運搬支援事業」として2カ月に一度、ゼロ・ウェイスト推進員らが回収に訪れています。

この運搬支援事業は、もともと住民課による福祉の視点から始まったもので、推進員は民生委員を兼ねています。

ひとり暮らしのお年寄りの中には、推進員と話すことを楽しみに待っている人もいれば、認知症が進んで分別はおろか片付けがままならなくなっている人もいます。ごみ回収と見守りを同時にする意義がある、と菅さんは話します。

「ごみ回収の効率を上げるだけなら配送や自動運転などいろいろな方法が考えられますが、やはり人と人とのコミュニケーションを大切にしたいです。ごみは生活そのものを表しますから」

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ゼロ・ウェイストセンターには、町民から集めた古い窓が使われている。「約700枚も窓を回収できたのは、リユースの文化が町に根付いているからこそ。みんなで施設を育てたいという思いが込められています」(大塚さん)
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

同時に、ごみにはプライバシーが詰まっています。ごみゼロを目指しているとはいえ、いったん「燃やさなければならないごみ」としてまとめて出されたものに対して分別を強いるようなことはありません。

「子育てや介護、病気など、さまざまな事情で分別に協力しづらい人もいます。そこで正義をふりかざして町民を苦しめるようなことはしたくないんです」(藤井さん)

町民に無理をさせず、誰ひとり取り残さない。これは、上勝町がごみゼロ自体をゴールにするのではなく、ゼロ・ウェイストを通して「みんなが無理なく楽しく、誇りをもって暮らす町」を目指しているためです。

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なぜゼロ・ウェイストを目指すのか。「45分別」の先の目指したい未来を町民に伝えるため、町役場がつくったパンフレット
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

昔は何でも燃やしていた

そもそもなぜ上勝町では、ごみを持ち寄るというスタイルが受け入れられたのでしょうか。前出の大塚さんは、ゼロ・ウェイストセンターを訪れる人たちに経緯を説明しています。

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ゼロ・ウェイストに関する学習や体験の機会を設けており、この日は韓国からの視察に対応していた。センターを訪れた人たちに説明する大塚さん
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

上勝町ではもともと、自宅の庭先で家庭ごみを燃やす「野焼き」をしていました。山や川への不法投棄を防ぐため、ごみを1カ所に持ち寄って焼くようになり、1998年に小型焼却炉2基を導入して22分別をスタートしました。

ところが、ダイオキシン類対策特別処置法の施行により、わずか2年で焼却炉は閉鎖することに。大規模な処理施設や広域でのごみ処理も検討したものの、経済的な負担や環境面の負荷を考え、資源化するほうに一気に舵を切ったといいます。

四国で最も小さく市町村合併も選択しなかった上勝町は、ごみ処理に回せる財源が乏しく、収集車を走らせることも難しい道路事情です。ただ、野焼きをしていた頃から家庭ごみを持ち寄る習慣はあったことから、収集ではなく持ち込みという、他の自治体とは違う方法でごみを処理することになったのでした。

「焼却炉の閉鎖からわずか1カ月で資源化に転換できたのは、自分たちのごみを自分たちで何とかしようという強い意志があったことが読み取れます」(大塚さん)

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